2012年07月29日

世と魂

「結局、我々が造られた存在だとすると、その“常識”も初めから仕込まれてゐる譯だ。これは、一面がっくりすることだけれど、反面、くよくよせず、ひたすら造物主におすがり申し上げればいいといふ、ある種、安心の境地にはなるかも知れないね」

「しかし、日本神話の造物神=タカミムスビの神、カミムスビの神の二神は、神學に出て來るやうな“分かりやすい”神樣にはおはしまさず、全く人間の理解を超えた神樣だ。さういふ神樣におすがり申し上げるといふのは…」

「ニーチェの云ふ運命愛みたいな?或は佛教に云ふ他力本願?」

「知るか。ともかくも、我々はいま眼の前にある世界=“世”と、それを見て恐れたり喜んだりしてゐる自分自身=“たましひ”しか、確かなものがない。この確かさを實在性と呼ぶとすれば、“精神=魂”と“物質=世”の實在性は明らかと言ふべきなのだ。その意味で唯物論も觀念論も我々の常識が受け入れることは出來ない。

 つまり、世が魂を生むのか、それとも魂が世を生むのか、といふ議論は無意味であり、両者の實在を肯定した上で、次に両者の關係を考へることになる」




posted by ゆふづつ at 00:00| ノンカテゴリー | 更新情報をチェックする