2012年03月30日

ざえとたま

「あんたは外側外側といふが、外側も内側があってこその外側だらう。

 源氏物語に、有名な源氏の學問論がある。少し長いから意譯すると。

 人の出世など分からないものだ。たまたま環境が惠まれてゐれば、それだけで世の中に認められ、出世もトントン拍子。何、才能、環境だ?そんなもの自分で作ったんぢゃねぇだろ。

 しかし、まだ人格も未熟な内にちやほやされてしまふと、地道に自分を磨く努力などする者ゐなくなる。それが人情といふものだ。

 氣がつけば身の程を過ぎる役職に就き、周りはお追從と諂ひ者ばかり。それが當り前のやうに思ってしまふ。

 しかし、榮華には波があるものであり、時が移ればツキに見放される。爲すこと全てが裏目に出、これでもかと不幸が襲って來る。その時になり、己の虚榮と無能力に氣づいても、泣き面に蜂。人に蔑まれ、侮られて、どうにもならない。

 やはり、かういふ複雑な世の中になると、本物の弱肉強食の世界、シナの智慧といふものが必要になる。それを學んでこそ、始めて大和魂も發揮出來るのである。

 だから若い内は詰まらないと思っても、ゆくゆく世の中で重鎭となるべき心構へなど習っておけば、親がゐなくなった後も、一人でやって行けるだらう。親が元氣な内は、ウダツの上がらぬ若造がと侮られても、さう慘めなことにはならない。

 と。どーだ。紫式部は登場人物の口を借りて、外側と内側の關係を見事に説き明かしてゐるだらう」




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posted by ゆふづつ at 00:00| 日記 | 更新情報をチェックする