2012年02月28日

信心

「日本語のカミといふ言葉は、いはゆる天神地祇から、それらを祀る社に坐す御靈、人を指すことがあり、さらには動植物、自然物など、おほむね優れた長所があり、恐れ多いものを言ふ。

 また必ずしも善いものであるとは限らず、卑しいもの、惡しきものなどを含むのは前に言った通りだ。

 ただ、ここで注意すべきは、人が理を以て神の上下を定めてはならないといふこと。惡い神は常に惡く、善い神は常に善いとも限らない。

 例へば、スサノヲノミコトといふ大神が坐すが、この神はおよそ人間の理解を超える神樣であり、人の理を以てその善し惡しを判斷してはならない。人の目から見て惡しきものも、本當は善いものかも知れない。さういふ謙虚さがないと、必ず世は亂れ、惡しきものが蔓延ることになる」

「しかし、すべての神樣について、人がその善し惡しを留保することは出來ないよね?もしそんなことをすれば、イワシの頭も信心からになってしまふぢゃないか。我々にも神樣を選ぶ權利はあるだらう」

「そこが難しいところだ。我々は神樣の善し惡しを論ずることに愼重であるべきなのは間違ひがなく、ただどの程度愼重にすべきかは神樣にもよりけりだといふことにしておかう」






posted by ゆふづつ at 00:00| 日記 | 更新情報をチェックする