2012年01月31日

神亊

「つまり、あんたは。大いなるものが生まれるには氣狂ひが必要だと、さう言ひたい譯かい」

「さうだよ。但し、ここで云ふ氣狂ひといふのは、ただの氣狂ひではない。いはば天のどこからか妖しく釀し出される奇しい力とでも云ふか。ともかくも、この妖しげな、人の理解を超えた力、これを昔は迦微と云った譯だが、この力がなければ、正常なものなど何ほどの力もないのだ。

 昔は頭のをかしいのを狐憑きなどと呼んだが、人に寄り憑くのは狐に限らない。いはゆる天才などといふのは何かが寄り憑いてゐるんだ。と俺は考へる。天才といふのは、意識するにせよしないにせよ、何かが寄り憑くやうな環境を良く知ってゐて、ベエトホベンは雨の日もよく散歩して、森の中などを特に好んだやうだ。

 彼は頭に浮かんだ音を手帳に寫し、それを元に大きな曲を編みあげて行った。ゴッホの繪なども、最後のオーヴェル=シュル=オワーズを歩き囘って描き上げた繪は異樣なものを漂はせてゐる。自殺者などといふのは狂氣の成れの果てのやうに云はれるが、本當に彼に降りて來たものが何なのかは誰も知らない。

 藝術ばかりぢゃない。昔は神懸りの狀態になるのをカムゴトといひ、琴を彈いて神を寄り憑かせ、樣々なお慧し亊を授かったものだ。かうしたことは文明時代になると忘れられて行き、魏志倭人等は、卑彌呼が鬼道に亊へるなどと表現してゐる。

 鬼道といふのも支那の古い時代にはあったのだらうが、魏志の三世紀にはもう野蠻な風習として忘れられてゐたやうだ。前五六世紀の孔子も鬼神を敬して遠ざけたと言はれる」



posted by ゆふづつ at 00:00| 日記 | 更新情報をチェックする