2011年09月30日

一神教

 外つ國の神は一神教であるが、我が國の神は原始的なアニミズムの域を出なかったといふ人がゐる。なるほど物は言ひやうだ。

 支那の儒教も、天罰を以て人に警告するといふ災異説など、すでに立派な一神教であらう。程朱學なども絶對的に理なる概念を唱へる限り一神教に近いと言ってよからう。

「しかしオヌシも物の理(ことわり)のあるのは認めるのぢゃらう。同じ穴の狢、いや一神教の信者といってよいのではないか」

 いや、道の理の妙(たへ)なる深いところは、人の小さな悟りでは推し測ることが出來ない。にも拘はらず、己の賢しらな智(さとり)を以て天の教へだの天命だのといふのが一神教だ。

 將棋のやうに、子供でも分かるルールによって作られたゲームでさへ、初めの一手は何が良いかは未だに分からない。まして、先手が勝つ必勝法は未だに誰も知らない。

 なのに、この世の動くルールさへ未だに分からない人間に、天命など知れる道理はない。所詮は己が賢しらの思ひつきを、ただ天命だの物の理だのと言ひ張ってゐるにすぎない。

 そもそも、天は空の上にあって神々の住まふ國であるから、そこに神々の意志はあっても、天命などあらう筈もない。




posted by ゆふづつ at 00:00| 日記 | 更新情報をチェックする