2011年08月29日

行燈

 また暫く行くと、タクシーのやうなのが停まってゐた。屋根の行燈に「た」と書いてある。あやしいね。

 初乘運賃、710圓。円ぢゃなく圓と書いてあるところが怪しいが、値段は割と眞面。

 運轉手の人相。唇が厚く、その箸に黒胡麻が一粒。口を開け、齒を見せて笑ってゐる。いや眠ってゐる。鼻は紅葉饅頭風。神經質らしく鼻毛はきちんと刈り揃へてある。目は制帽の鐔がかかってゐるから見えない。

 上着は制服だらうか。白いYシャツ。胸に「た」の縫取り。この糞暑いのに窻を開け、エアコンは切ってある。なかなか感心。

 ちょっと乘ってみたくなったが、どこへ行く當てもなし。だいいち俺のコインが通用するかどうか。

「お客さん、いいっすよ、どうぞ」

 金、持ってないよ。

「その財布の中にあるぢゃないですか」

 見たのか。

「見なくても顏で分かります。こっちは何でも見た目ですから」

 しかし行先も無いんだが。

「それはある方がをかしいでしょ」

 目的地がないのに、どこへ行く。

「着けば分かりますって」

 滑り込む間もなく、ドアがピシャっと締まり、車は發進した。



posted by ゆふづつ at 00:00| 日記 | 更新情報をチェックする