2010年10月29日

茜雲 二

 義士廻りのリレーは、例の忠魂六士の話に因み、戰前の尋常小學校男子の一年生から六年生まで、各組から一名づつが選拔され、組對抗の形式で行はれてゐた。實際の笠掛落城は今の夏休みに當る爲、當時は秋の運動會に行はれたが、プログラムの取りを飾る最大の演目であった。

 先づは一年生からスタート、だんだん學年が上がって行き、最後は六年生の勝負となる。これが市の文化祭では、市内十五の小學校毎に一チイムが編成される譯である。

 コオスも戰前は言ひ傳へ通り、落合から御堂橋、及川の山道を拔けて羽多岐まで、最後の北山街道を除けば山道ばかりといふ險しいものであったが、今は安全第一にと、由水小學校のグランドを一週、周圍を五週したあと、再びグランドに歸ってゴールといふ、堂々廻りに改められた。實に安直な忠魂六士と言ふべきだらう。

 學校の西側は雑草の生ひ茂る濕地であったが、市はいづれ塵芥の埋め立て場にと計畫してゐるやうで、周邊の道路を舗装整備する等の開發が進められてゐる。ただ學校の東側は沼を埋め立てたまま放置され、走るコースの草を刈っただけの間に合はせだ。いづれにせよ、由水小學校のアンカーは鐵が選ばれてをり、自分たちの庭のやうなフイルドで負ける譯には行かなかった。

posted by ゆふづつ at 23:25| 日記 | 更新情報をチェックする