2010年06月29日

ふっこ 一

 雪子の出産は十一月にずれ込み、丈夫な女の子が生まれた。ともかくも、邊サや子供たちは毎日來てくれたが、やうやく落ち着いた五日後の晩、邊サの代りに藤サと子供たち、それに大倉夫妻が見舞ってくれた。

 産室に使はれた六畳間、七人が母子をとり圍み、
「もう名前は決まったの」
 と開チャ。
「それがまだなの」
 と順子。

 すると藤サ、「今は親馬鹿な名が多いが、そもそも名は人から貰ふもの。名にし負ふって言ふぐらいだはさ。しかし、まだ赤ん坊だと名ってほどのものはない。仕方なしに親がつけたもんだ」

 藤サはもう出來てゐるらしく、心地良ささうに、
「邊サの兄弟なんか、親父の友達が出征した日に生まれたからトモユキ、二番目は藥罐で火傷したからアツ、三番目が豐作だったからトシ、四番目が死んで、次に生まれたのが康夫。本當は昭和生まれでアキヲとつけたかったさうだけど、これは次の弟に囘された。奴はいつもタイミングが惡い。そもそも俺なんかに隨いて來たのが間違ひの因だ」

 順子、「まあ御氣の毒。今ごろはクシャミなさってますよ」と同情し、皆が吹き出した。雪子も子の名前は氣にしながら、何とも決めかねてゐた。目鼻立ちと言ひ、膚の白いのと言ひ、をかしいぐらゐ自分に似てゐた。

 次に開チャ、「でも今は一度つけた名がづっと變はらないから困るの。もし雪ちゃが日に燒けたらどうにもならないは。くれぐれも愼重にね」
 
 すると、「ふっこ」
 鐵坊が上を見上げ、鶴の一聲。壁の物挾に、「ふっこうぎえん」と平假名で書いた團扇が插してある。町の復興義捐協會が記念に配った古いもので、「ふっこ」の文字だけ覗いてゐる。

 鐵坊には平假名片假名を教へてゐた。それを思ひ出したのであらう。みなの視線が團扇からふっこへと降りると、ふっこの方も、何やら眞劍な眼差しを鐵坊に向けてゐる。目を眞ん丸にし、嬉しさうな表情をしてゐる。

posted by ゆふづつ at 00:00| 日記 | 更新情報をチェックする