2010年04月30日

わたり川 一

 笠掛の町は遙か有史以前の昔にまで、その起源を辿ることが出來る。水と肥沃な土地に惠まれた扇状地の周邊には、幾つか縄文人の集落した跡が遺されてゐる。萬葉集にも、鳥目山、かしけやらむに、水のにごれる、と防人の歌が遺されてゐる。廣見は頭の中で原稿を再現しながら、雨の坂道を上った。

 かしけやらむ、といふのは當時の東國訛りで、歩いて歸らう、といふやうな意味だらう。當時、鳥目山には馬を所有するほどの農民が住んでゐたのだらうか。この百姓は、おそらく洪水か何かで道が流れ、仕方なく馬を下り、徒歩で太ヶ谷邊りまで歸ったと、そんな風な光景が想像される。

 防人が廢止されるのは平安初期であるから、この歌はたぶん奈良時代のものだらう。さうだとすると、その頃の笠掛には、少なくとも朝廷から邊境の警備に驅り出されるほどの人口があったものと考へられる。

 もう少し旨く話せないものか、と我ながら思ふが、大人相手に、しかも市の嘱託といふ身分で話すとなると、學生相手に講義するやうな譯には行かない。學者なら自分獨りが責任を負へば濟むだらうが、今は大袈裟に言へば市役所を背負ふ立場だ。閑散とした大ホールが目に浮かぶと、ますます氣が重くなった。

 市役所に着いたが、雨は止むことを知らず、ポーチの屋根からも滴り落ちて來る。大ホールに着くまでに下半身が粒濡れになった。大ホールとは言ふが、舊廳舎跡のバラック建て、知らぬ者が見れば何かの格納庫だと思ふだらう。

posted by ゆふづつ at 00:00| 日記 | 更新情報をチェックする