2010年03月30日

かんな 八

 その夜、鐵を隣の六疊間の布團へ寢かし附け、やうやう藤三郎の仕事が終はった。久代は先に休んでゐる。その脇の布團へ入り、
「ところで、何うだ、あの娘、何う思ふ」

「轉校、春休み明けに間に合ふのですか」
「お前さへ望むなら、それは大丈夫だ。苗字も上田にして貰へるさうだ」
「それなら一安心ですが、あの娘自身はどう思ってゐるのかしら」
「案ずるより産むが易しだ。あの娘は我々が思ふよりずっと勁いかも分からん。そんなことより、正式に上田姓になるには家庭裁判所の許可が要るさうだよ。親が病氣だと許可にならない場合があるさうだから、體の方をしっかり治しておかんと。あとはお前の氣持ち次第さ」

「あの子、姉がゐるやうなこと、言ってゐましたよ」
「姉と言っても雙子の姉さんだから、渡邊によると瓜二つださうだ。母親が亡くなったあと、姉の方は湯殿に出てゐる」
 湯殿と言へば目と鼻の先。渡邊のアバートもある隣町だ。さう言へば、湘南の兼崎まで芳江を引き取りに行ったのも渡邊であった。

「すまん、隱すつもりはないが、話が後先になった。お前、芳きの母親が渡邊と婚約してゐたのは知ってゐるよなア」
「亡くなられた御婚約者の方ですか」
 まさか、芳江の父親が渡邊だといふのか。

「渡邊が婚約したとき、もう雙子の姉妹が御腹の中にゐた。もちろん渡邊の子ぢゃないが、渡邊にすれば、それを承知で婚約するんだから、始めから籍に入れるつもりだ」

 ところが、それでは實子と養子のけぢめがつかない。取り敢へずは身重の婚約者を兄夫婦が預かり、無事に出産してから入籍することになった。そこには渡邊の兄の意思が働いてゐる。

 當時、藤三郎は大倉家の家財を東京へ賣り、その金で仕入れた物資を方々に賣り捌くやうな仕事をしてゐた。渡邊も身重の婚約者を無理に呼び寄せるより、安全な兄の家に預ける道を選んだ、と藤三郎は言ふ。

posted by ゆふづつ at 00:00| 日記 | 更新情報をチェックする