2010年02月27日

ほうけ草 二

 ところがピアニストのパリ留學が夢でなくなった頃、雪子の指に異變が起きた。彈奏する手が痛いのは常のことだが、その指の動きが鈍くなって來た。しばしば他人の指のやうに動くことさへあった。

醫者は手の腱鞘が先天的に細いのだと言ひ、無理に續ければやがて錆びつくだらうと脅した。ほかの醫師は右手は使はずに彈けと諭し、「何時まで」と尋くと「二三年の辛抱だ」と云ふ。いづれ名醫か白樂か。

 主任教授は雪子に聲樂への轉向を勸めた。ソプラノの音域が勿體ないといふ話だったが、つまりはピアニストへの道が斷たれたといふ事だ。時恰もオペラが注目を浴び出した頃で、腐る雪子には學生オペラの少年役が與へられた。

 飛びついても良い大抜擢とは言へたが、稽古のあと、スタッフの一人から呼び出しを受けた。
「實力だけで選ばれるなら苦勞はない。君は美聲だけで唱へるとでも思ふのか」
 と、その次期教授と噂される男は云った。

 驛から通ひ馴れた電車で故郷へ向かふ。もう見納めかと思ふと何もかもが新鮮に映った。今まで何を見てゐたのか。しかし不思議と後悔に似た氣持ちは起こらない。むしろ後悔し足らぬほど甚ん底に落ちたのが爽快ですらあった。夢を描いて上京したのとは逆に、今度はあてもなく歸る道だ。まるで見知らぬ土地へでも行くやうに、うきうきした氣分を味はってゐた。

 豊川から支線へ乘り換へると、やがて西方に懷しい山竝みが見える。丸みを帶びた稜線が甲岳、右へなだらかに畝ったのが鳥目山。その山間から迸り出るのが由水川だ。關東山地の清冽な水を集める川は、古くから時折り大氾濫を起こした。町は危ふい中洲に建つ砂城であった。

posted by ゆふづつ at 00:00| 日記 | 更新情報をチェックする