2012年07月22日

たった一人の無私

「しかし經驗を大事にすると言っても、我々の經驗は非常に不確かなものだし、經驗こそイドラの塊みたいなものぢゃないか。よく言はれるやうに、人は自分に不都合なことはきれいさっぱり忘れてゐるしさ、また自分の惡いことは棚に上げ、人の惡事ばかり氣がつく」

「學者、とくに自然科學者などは、自分の提唱する假説について、客觀的な檢證を求めるよね。これはイドラから逃れようとうする試みの一つだ。學者みたいに、人から認められてなんぼの人ぢゃなくても、やはり、客觀性みたいなものは常に求めるべきだらう。さいもないと狂信に陥ることは免れないと思ふ」

「その場合の客觀性といふのは、どういふことなのかな。誰しも認めざるを得ないこと、少なくとも普通の人なら認めざるを得ないやうなことを客觀的といふのか、それとも、人間の認知や認識に關係なく、事實として存在するといふことなのかな」

「もし後者、つまり純粋な客觀的事實であることが要求されるとすると、これはイドラから免れるのは難しい。なぜなら、そもそも經驗的事實そのものが、純然たる客觀的事實の認識かどうかが怪しげなものだからだ。人間の認識を媒介しない客觀事實の存在を認めること自體が單なるイドラの産物かも知れないのだ。

 一方、なるべく多くの人の賛同を得ることは確かに喜ばしいが、さうなると、さう大きな智慧は手に入らないだらう。つまりは、普通の常識以上の客觀性は得られない」

「ぢゃ、どうすりゃいいんだ」

「ニイチェのやうに、たった一人ぼっちの常識だけを言ひ張るしかない。そしてかう言ふのだ。俺はこれから一人になって行く。お前たちも去るがよい。しかも一人づつ。そしてお前たちの全員が俺のことを否定したとき、俺はお前たちのもとに歸る、と」



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2012年07月21日

97%

「神話を眞面目に傳承してゐた頃の人々と、我々現代人の一番の違ひとは何なのだらうか」
 
「一口に言へば、昔の人々は徹底した經驗主義。自分の目で見、心に感じたものしか信用しないといふレアリスム。觀念的なもの、抽象的なもの、頭の中の想像。そんなものは全く受け附けないといふことなんだ」

「逆に言へば、我々は樣々なイデアリズム、觀念、イドラに振り囘されてゐるといふことか」

「その一面は確かにあるね。その方が便利なんだよ。結婚相手を見つける、ったって、この世には無數の結婚相手の潜在的候補者がゐて、それを一人ひとり吟味するのは不可能だから、まず相手を男、それも自分の年齡プラスマイナス3歳以内と限る。これで、全人類から候補者を3%以下に絞ることが出來る。

 かういふ抽象操作といふのは話を單純にする最も有効な手段なのだな。我々はかういふ手法に慣れすぎてゐるから、ごく當り前のやうに使ひこなし、全く反省もしてゐない譯だが、そのあっさり切り棄てた97%の中に小指の赤い糸で結ばれた相手がゐたかも知れないことは夢にも考へることがないのだ」

「こえぇ話だね」


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2012年07月20日

イドラ

「ふぅん。お前さんも現代社會から見れば隨分と風變はりに見えるけど、どうしてそんな風にひねこびた人間になったんだらうって、自分でも考へることはあるのかい」

「さうかなぁ。自分ではさほどひねこびてゐる自覺はないんだけどね。いつの時代にも時代の風潮みたいなものがあって、みんなそれに乘ってゐる振りをしてゐるだけなんだらう。振りをしてゐる内に、自分のことはすっかり忘れてさ、生活に手一杯になってゐるだけだと思ふよ。

 それが何かのきっけかで、かういふ譯のわからん場所で、譯のわからんタコと向き合ってゐると、正直な自分が湧き出して來たといふ譯なんだらう。ここは天國だか地獄だかは知らないけど、俺だって娑婆にゐるときは、もう少し普通の人間の振りをしてゐたさ。その方が通りがいいからね」

「しかし、ここへ來てそんな風に素に戻れたといふのは、何かここにイドラを捨て去るものがあるといふことなのかな」

「イドラねぇ。ベーコンのいふイドラがどんなものかは知らないけど、人は知らず識らずに何か固定觀念みたいなものは持ってゐるよね。それを棄てると、世界がまるで別物に見えて來るといふことがある。現代人はさういふことも知らない人が多いから、逆にインチキ宗教に凝ったり、なまじイドラに踊らされてゐた方がましだった、なんてことにもなりかねない」



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