2012年06月30日

呪縛

「要は國家といふか公の權力はなるべく國民の自由を規制すべきぢゃないといふことで、それは近代的に言ふと自由主義、リベラリズムといふことぢゃないか」

「いはばその自由主義といふのは、我が國の上古からの傅統であり、江戸時代にはすでに欧羅巴以上に達成されてゐたといふことは、殘念ながら今では忘れられてゐる」

「さうでもないんぢゃないか。確かに學校の教育なんかぢゃ、江戸時代は士農工商のひどい身分社會で、武士は斬り捨て御免の特權を持ち、庶民は氏姓はもちろん苗字さへ名乘ることが出來なかったとか、ろくでもない時代のやうに教へられてゐることが多いけど、もっと自由な言論では江戸時代が見直されてゐる」

「いつの時代も、國民の四五割は成熟してをり、八割はまぁそこそこ常識を辨へてゐるが、殘りは烏滸しな連中で占められてゐる。

 日本は國民國家と言はれる國の中でもこの割合は格段に高いのだが、今はまだ戰後が終ってゐない。日本はどうしてもアメリカによって解放された國であるといふ建前のやうなものが、特に知識人の間に殘ってゐるものだから、この呪縛が終はるのは、昭和二三十年代生まれがほぼ絶滅する迄、あと三十年はかかるのぢゃないか?」


posted by ゆふづつ at 00:00| ノンカテゴリー | 更新情報をチェックする

2012年06月29日

謙抑

「近代刑法にも謙抑主義といふものがある。中世において、刑罰が殘虐な支配道具に用ゐられた爲だらう。

 ただ、中世の人間が特に殘酷趣味だったといふ譯ではなく、主として力によって民衆を支配し、社會秩序を維持するのに、威嚇や過酷な刑罰が必要だったに過ぎない。宗教も、今の法律に當るやうな道コ社會規範だった。

 互ひに直接の繫がりのない多くの國民が國家として統合する爲には、一種の結着劑としての力と正義といふものが不可欠なのだ。

 それが、ヨーロッパ科學技術などの進歩に伴ひ、激しい軍擴競争となり、民族の統合、絕對王權へと進み、それが自壞に至ったと見ることが出來る。

 新しい時代の擔手になった有産市民層は、刑法においても罪刑法定主義、民意に據る制定、類推解釈の禁止、事後法の禁止、恣意的運用の抑制、刑法發動の謙抑主義などを唱へるに至る。

 それが可能になったのは、人間が優しくなったからではなく、經濟が豐かになり、人々に余裕が出來、また民族國家の成立による對外的緊張といったものが生じるなど、社會環境の變化に因るものである。人間自體は進歩もせず、その表層はともかく、その本質は何十萬年、變はってはゐない」

posted by ゆふづつ at 00:00| ノンカテゴリー | 更新情報をチェックする

2012年06月28日

獨善

「社會には必ず不適合者、犯罪者等、社會に仇を爲す者がゐる。といふことだね。これも惡神の生み出すもので、基本的には仕方のないことだと。人間に不都合だからと言って、この地上から消し去ることは出來ない。

 恰もライオンがシマウマにとって都合惡いからと言って、もしライオンが撲滅されたら、シマウマが増えすぎ、草原が喰ひ盡くされる結果、つひにシマウマも滅びる。だからライオンもほどほどにゐた方がいい、みたいな?」

「そんなこと知るか。ただ、物事の一面だけを觀て、政治を行ふと、豫想もしなかった弊害が出來る例として、おぬしの擧げた例は適當かも知れない」

「ぢゃ、ライオンはほどほどの數に留めるとして、増えすぎたのは間引きし、或は適當にベジタリアン教育でも施すってことかい?何だかひどくシマウマの獨善臭がするけど?」

「さうは言っても、どんな生き物も、その程度のことは行なってゐる。ライオンだって、無益な殺生を行ふことは無いし、シマウマだって必要以上に食はれないだけの用心はしてゐる。人間なら尚更だらう。時に惡人にレッドカードを出すこともあるし、しかしなるべくなら寛大にし、許すべきものは許し、獨善とならないやうにする。それしかない」


posted by ゆふづつ at 00:00| ノンカテゴリー | 更新情報をチェックする