2012年05月25日

善惡

「しかし、人間の幸不幸は、その人の心がけに據るものぢゃないの?性格の惡い人間は、やはり身の廻りに惡い人間が多くなるから、自然、運勢も落ちて來るし、助ける人も少ない。

 しかし、人の爲を思ふ人の廻りは、讓り會ふ人々が多くなり、身を犠牲にしても人を助けようとするから、それぞれが助け合って、みな運勢が良くなる傾向がありはしないか?

 なのに、普段身勝手な行動ばかりしてゐる人間が神に祈ったところで、さう都合よく神樣が助けてくれるとは思へない。結局、人間の身の禍福は、基本的にその人の責任になるのぢゃないかしら?」

「さういふのを自力本願といふのだよ。だから身の行ひを正せ、さうすれば運命が開けるとね。しかし聖書にもあるやうに、この世には悪魔もゐる。いくら身を綺麗にしてゐたところで、悪運がつくこともあるし、悪黨に幸運がつくこともある。

 百歩讓って、行ひを正せば惡い亊が起こらないとしても、その行ひが正しいかどうかは必ずしも明らかではあるまい。ひょっとしたら悪黨の方に實は正義があるかも知れない。そこのところを生賢しらに人が決めるから、世の中がをかしくなってしまふのだ」





  
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2012年05月24日

大國

「實のことを言ふと、コ川家康が大物中の大物だぐらゐは知ってゐたけれど、大國主の命は、因幡の白兎の話ぐらゐしか知らなかったんだ。それがそんなに偉い神樣だったのかい」

「皇孫の命に政亊を讓る前はこの日の本を經營なさってゐた神樣なのだから、それが天孫の命に政亊をいはば奉還するといふのは、現代ならあり得ない話だらう。

 またもし古事記がただの作り話なら、こんな馬鹿な話は作らなかった筈だ。なぜなら、古事記が作られた當時は皇位繼承を迴ってさへ、皇孫の御子を迴って、朝廷周邊の豪族たちが血腥い爭ひに明け暮れてゐた時代なのだから。誰が國讓りの神話なんか信ずるものか。

 尤も初めから素直に讓られた譯ではない。皇孫の命やそれを助ける神々が確かに不思議な力を持つ神々であることを確かめた上で、天照大御神の詔に從ひ、世の中の幽亊(かみごと)を司る神として、八百萬の神々を率ゐ、出雲の大社にお鎭まりになった。

 今なほ、皇孫の御子は出雲の大~、八百萬の神々をもお祀り奉り給ふ。それは大國主の神との約束であるばかりでなく、この國の平和を維持する爲の祈りなのである」

「なるほどね。人が智慧を絞って犯罪を撲滅し、戰爭を囘避し、災害を除去するのも大切だらうけど、それだけでは足りない。善き神々を祀るだけでなく。荒ぶる神たちをも祭り奉り、地の平安を祈ることも大切だ、といふことだ」




 
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2012年05月23日

幽亊

「古事記には、大國主の命が天下を皇孫の命に譲り奉ったとある。この時、天照大御神は、天下の表の政治は皇孫の命が司り、天下の裏の幽亊(かみごと)は大國主の命が司るものと約束された。

 この皇孫の命が司るべき政治といふのが、いはば人間の行ふべき樣々な政策、行ひだといふことだ」

「そして、大國主の大~の司る幽亊といふのが、人には分からない、人智を超えた道理だといふ譯なのかい」

「ただ、政治、人の擔當すべき政治といふのも、根本は物の道理から成り立ってをり、その本當のところは人智を超えたものであるので、人が自分の頭で自由に考へられるものではない。そのことは十二分に辨へておく必要がある。

 例へば、人が自動車を運轉するとき、運轉してゐる本人は、つい自分が動かしてゐるやうな錯覺に陥り、自分がすべてコントロールしてゐるやうに振る舞ふものだが、それはヘボクソ運轉でも下の下といふべきなのだ。

 本當の名手は、自動車の性能性質、運動の力學法則から、自分の血中アルコホル濃度、疲勞度、錯覺を起こしやすい人の認知の仕組みなど全てによく注意しながら、なほ自分が何者かに操られた存在に過ぎないことをよく知ってゐる。石橋を叩きながら運轉してゐるものなのだ」



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