2012年04月18日

示申

「次に~とは何か、といふことを考へて見よう。この~についても、外國と我國には、大きな考へ方の隔たりがあった」

「あった、と過去形で云ったね。さしもの國粋主義者も、今はこの國も外國と一緒と、考へる譯だ」

「まづ。我國の~といふのは、必ず五感によって感知出來る存在か、また知覺は出來なくとも、その姿が見える、つまり名のある存在、固有名詞であり、ただの觀念的抽象的存在ではない。

 これに對し。外國の~は、必ず何かの亊を説明する爲の機能的理論的存在なのだ。だから、ただ造物主といひ、天主といひ、ただ天と言ったりもする」

「名無しの權兵衛かい」

「彼我の違ひは些細なやうでゐて、實は根本的な違ひなのだ。我國の~は、人が創りだしたものでなく、人を壓倒する恐ろしい~なのである。人の淺はかな智慧でその善惡を推し量ることは出來ず、好むと好まざるとに關はらず、受け容れざるを得ない力なのである」

「なるほど。外國の十倍も災害の多い日本の神樣らしいね」

「ところが外國の~は、ことごとく天地萬物の理を説明する爲の方便であり、その實體はただの屁理屈に過ぎない」

「と、大きく出た譯だ」



posted by ゆふづつ at 00:00| ノンカテゴリー | 更新情報をチェックする

2012年04月17日

聖人の賢しら

「惡い先生、惡い先輩、惡き親の言ふことには逆らってもよい、といふことになると、それは一見して賢く、物の道理に添ふやうには見える。

 しかし、その窓から外を覗いて御覽よ。生徒が先生をババァ呼ばはりし、それを教師が注意すると、生徒が逆ギレ、先生に物を投げつけ、教師がそれを制止しようと取り押さへた拍子に生徒の腕に擦り傷が出來た。

 親が體罰だケシカランと學校に乘り込み、教育委員會にネヂ込む。事なかれ主義の校長は當の教師を伴ひ、生徒宅にお詫びに伺ひ、生徒の前で土下座して見せる。さういふ光景が目に浮かぶやうだね。

 また。その子が社會に出て先輩に逆らひ、會社を馘になって引き籠りになったとき、親がいつまで遊んでゐるのだと聞いたら子供は逆切れ。俺がかうなったのはお前のお蔭だと家中の物を壞し、親は近所の借家を借りて疎開する始末。そんな景色が目に見えやしないか?

 だからどこかの教育基本法も、見た目のバカバカしさ、その幼稚な理想主義以上に、實は大きく國家公共を損ねてゐることを、よろず推し竝べて、思ふべきなのである」




posted by ゆふづつ at 00:00| ノンカテゴリー | 更新情報をチェックする

2012年04月16日

肥担桶

「人の眞心だけぢゃなく、神々の眞心にさへ善惡がある。だからこの世に惡亊があるのは仕方がない。

 ただ、注意すべきは、善人も惡人も、それぞれの眞心に從ふべきであって、惡人といへどもその眞心を失へば、その人のみならず、世の中をますますねぢ曲げるといふことだ。

 まして、善人が眞心を失ふと、いよいよ己れの曲がったことに氣附かず、己が僻事を受け容れられぬのを恨み、いよいよ狂って行く」

「今の政治家や學者がさうだと言ふのだらう。しかしそれは餘り言はない方がいい。ある程度尊敬される立場の人でも、それを言へば笑ひ者になる。まして屁でもない人間が言へば肥担桶で張り倒されるだらうからね。

 しかし、もし惡神といふものがあれば、惡い先生、惡い先輩、惡い親といふものもある譯だ。もしこの惡い先生などがその眞心を失ひ、さらに非道い道に堕ちて行く場合、その弟子や後輩、子はどう對處すべきだい?」

「俺がもし、惡い先生や惡い先輩、惡い親の言ふことなど聞くな、と言へば極めて論理的な答へとして君も褒めてくれるのだね」

「けれど?」



posted by ゆふづつ at 00:00| ノンカテゴリー | 更新情報をチェックする