2012年03月25日

デヘンス

「昔、何かの本を讀んでゐたら、自衞隊は何を守るか、といふ議論があった。自衞隊が守るべきは、必ずしも國民の生命身體財産ぢゃない。例へば、もしどこかの縣議會が獨立宣言をし、中國に併合される條約を結んだとし、そこへ中國軍が進駐して來たら、どうするか」

「そんなことねぇだらう」

「今は純粋に思考實驗をしてゐるんだからお默り。

 自衞隊はそれを奪還すべきだらうか。中國は、もし日本が奪還に來るなら、日本と、これに協力する國家に對し、直ちに宣戰布告し、容赦のない攻撃を加へる、と威嚇したとする。

 この場合、日本としては、何もしない方が、一人の犠牲者も出さずに濟むのぢゃないか?」

「しかし、何もしないなら、日本の領土は次々に、同じ手で奪ひ取られて行くのぢゃないか?日本はチベットやブータンみたいになっちまふよ」

「しかし、戰爭になったら、日本みたいに狭い國は、核兵器をぶち込まれなくても、ミサイル攻撃だけで火の海になっちゃふよ。生命、身體、財産、さぁ、どうする?」




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2012年03月24日

フルコト

「ぢゃあ、お前さんの言ふ歴史、フルコトって、何なんだよ」

「經る事だよ」

「それはただのお前さんの昔話だらう。子供時代はかうだったとか、學校時代はどうだったとか」

「だから、それが歴史だといふんだ」

「ぢゃ、私が學校で欠伸を嚼み殺しながら聞いてゐたあの歴史は何なんだよ」

「そんなの知るか。それは先生が仕事でやってたんだらう。講釋師見て來たやうな嘘を言ひって川柳があるけど、そんな嘘なら見事なもんだよ。今の先生には講釋師の腕が無いから、詰まらない年表的知識を竝べ立てるだけぢゃないか」

「さうだ。その學校の先生に講釋師の免状を採らせるってのはいいアイデアだね。と同時に、歴史が講談だとは知らなんだは」

「ただ、講談は落語と同じく、ほとんど創作だし、その場はともかく、ああ面白かったとは思ふが、誰も本當にあったことだとは思はないだらう」

「神話もさうぢゃないか?」

「神話も言ひ傅へられる内に話が整理されたり、取捨選擇、色々な修正、脚色が加へられてゐるのは確かだ。ただ、最初から意圖的に加へられた改變はむしろ例外で、多くはそのまま殘さうといふ意識の下で傅へられた、大眞面目なものであることもまた確かなのだ」


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2012年03月23日

歴史

「歴史といふのも、所詮は人の目に映った“コト”でしかない。我國には、東北アジアの三國で共通の歴史認識を持たうと考へる人がゐるが、それはつまり我國が自分の國の歴史を忘れるか、さもなければ無用の議論で時間を潰すか、どちらかにしかならない。

 國同士でももちろんさうだが、個人もみんな違ふ歴史を持ってゐる。子供を亡くした母親の持つ歴史は、その母親の心そのものを爲してゐる。逆に言へば、歴史を持たない人ほど貧しい人間はゐない」

「ははぁ、さういふ意味の歴史か。英語のhistoryとか、獨逸語のGeschichteには物語とか小説とかいふ意味があるんだらう。歴史はもともと物語なんだらうね。ロマン」

「ロマンは形のない夢想だ。しかし歴史、フルコトは、やはりコトだから、使ひ古されたコトだとは言へ、やはり現在の精神狀態なのだ、單なる忘れ去られた過去ではない。

 誰にでも共有できる歴史だと?そんなものは誰のものでもない歴史だ」



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