2012年03月31日

ラバコン

「どーだ、って開き直られてもねぇ。お前さんがバームクーヘンみたいなのは分かったけれど、だからどーなんだといふのが正直なところ。

 そのベーコン卷だっけ?その帶をお姫樣よろしくコマ囘しに解いて行ったら、神話といふ辣韮の芯みたいなのが出て來て、結局何だか正體が分からないって落ちになるんぢゃないかねぇ」

「ベーコン卷ぢゃねぇよ。バウムクーヘンだろ。人を木の年輪扱ひしたのはそっちだらうが。

 けど、神話が何だか譯の分からないものだといふのも、また現代の神話だ。神話は古事記を見ろよ。非常にビジュアルで曖昧さは微塵もない。ただ言葉が古いから中々ピンと來ないのは仕方がない。しかし現代人はその上に色々な解釋をつけ加へるから、餘計に譯の分からないものになる。

 それと、もう一つ。神話はもともと言葉で語り傅へられて來たものを、當時はテープレコーダーなど無いから、文字で書き寫し、從ってまた元の口承がきれいに忘れ去られてしまったといふことだ。

 今、例へばあんたの話を文字に起こし、あんたが死んだあとでその活字を讀んだとする。あんたと逢ったことも無い人間が、あんたのその口ぶり、アクセント、語りの表情などを想像することが出來るだらうか。それは古今亭志ん朝の落語をラテン語に譯し、それをイタリア人に讀ませるやうなものぢゃないか」






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2012年03月30日

ざえとたま

「あんたは外側外側といふが、外側も内側があってこその外側だらう。

 源氏物語に、有名な源氏の學問論がある。少し長いから意譯すると。

 人の出世など分からないものだ。たまたま環境が惠まれてゐれば、それだけで世の中に認められ、出世もトントン拍子。何、才能、環境だ?そんなもの自分で作ったんぢゃねぇだろ。

 しかし、まだ人格も未熟な内にちやほやされてしまふと、地道に自分を磨く努力などする者ゐなくなる。それが人情といふものだ。

 氣がつけば身の程を過ぎる役職に就き、周りはお追從と諂ひ者ばかり。それが當り前のやうに思ってしまふ。

 しかし、榮華には波があるものであり、時が移ればツキに見放される。爲すこと全てが裏目に出、これでもかと不幸が襲って來る。その時になり、己の虚榮と無能力に氣づいても、泣き面に蜂。人に蔑まれ、侮られて、どうにもならない。

 やはり、かういふ複雑な世の中になると、本物の弱肉強食の世界、シナの智慧といふものが必要になる。それを學んでこそ、始めて大和魂も發揮出來るのである。

 だから若い内は詰まらないと思っても、ゆくゆく世の中で重鎭となるべき心構へなど習っておけば、親がゐなくなった後も、一人でやって行けるだらう。親が元氣な内は、ウダツの上がらぬ若造がと侮られても、さう慘めなことにはならない。

 と。どーだ。紫式部は登場人物の口を借りて、外側と内側の關係を見事に説き明かしてゐるだらう」




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2012年03月29日

崩れ

「つまり、俺の中に埋め込まれてゐるバウムクーヘンみたいなものの一層が、時に日常感覺であり、時に特攻精神みたいに躍り出て來ると言ふのか」

「さうだらう。人間の心も一枚岩ぢゃない。特にバウムクーヘンも外側の層ほど簡單に剥がれる。逆に核になるほど強固で、老いてもなかなか壞れないという譯だ。

 人間も、普段は生意氣に、色々考へて行動してゐるやうに見えるけど、氣がついたら、その古い地層の云ふなりになってゐるって、氣づいたことがないか?例へば、あなたのセッキスは男?女?」

「むろん女とだ。週3回」

「部屋は汚れてる?」

「部屋は森だし」

「最近、凝ってるものは?」

「お腹をくすぐること」

「誰の?」

「狸の縫ぐるみの」

「氣持ちよがりますか?」

「無視される」

「寂しい人生ですか?」

「放っとけ」

「死にたいと思ふことは?」

「ない」

「樂に死にたいとは?」

「思はん」

「自然死なんだ」

「知るか」

「怒った?」

「いや別に」

「ほんと。外側がないね」



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