2011年11月21日

みそぎ

 法律學を學ぶ者を惱ますものの一つに刑法理論がある。

 例へば、夫が妻を殺さうと矢を放ったところ、その矢が心臟に命中する寸前に、別の人の撃った拳銃の彈が當り、妻が即死した場合、夫は何罪になるであらうか。

 この場合、妻が倒れた爲に矢が外れたとすると、夫は殺人未遂罪になると考へるのが普通だらう。なぜなら、夫の放った矢は、妻の死に何の効果ももたらしてゐないからだ。言ひ換へれば、夫が弓を放たなくても、妻は同じ時刻に、同じ彈丸に當り、死んでゐた筈である。

 しかし夫が殺人行為に及んだことは確かであり、ただその行爲が效を奏さなかっただけのことであるから、未遂罪にはなる、といふ譯である。

 では、妻に彈が命中したあと、矢も妻に當った場合はどうであらうか。檢視の結果、彈も矢も心臓を貫いてゐたとする。

 この場合、先に彈を當てた人が殺人既遂になることには異論があるまい。問題は、後に弓を當てた夫が殺人既遂になるのか、ただの殺人未遂か、である。

 一つの考へ方は、すでに彈が當り、助かる見込みのない妻を「殺す」ことは不可能であるから、殺人行爲の着手後に殺害が不能になった以上、やはり殺人未遂だといふもの。

 ちょうど、殺人目的で毒饅頭を郵送したところ、それが届く前に被害者が別の人間に殺されたのと同じやうに考へる譯である。

 ただ、前の例では、すでに彈が當り、即死状態だったとしても、まだ腦の一部等が活動を停止してをらず、完全に死んだ狀態とは言へないから、そこに弓が當れば、少なくとも一秒の何百分の一ぐらゐは壽命を縮めたことにはならう。と、殺人既遂を認める考へ方もある。今にも死にさうな人でも、これを殺せば殺人になるからである。

 しかし、この問題の答は案外に簡單だ。刑法理論など捨ててしまへばよいのである。

 そもそも妻を殺すなど血生臭いことを考へる男は、毛を剃り、爪を切り、御祓をした後、被害者の親族に引渡し、煮て喰ふなり燒いて喰ふなり勝手にさせれば濟む。まぁ今のインテリ諸君には出來ない相談だらうけど。



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2011年11月20日

文字

 今の普通の考へによると、人類が誕生してまだ二十數萬年ださうである。

 しかし、現在發見されてゐる文字の、最も古いものでも、せいぜいが五六千年程前のものだ。日本に文字が入ったのは千數百年前。日本にも固有の文字があったとする人もあるが、それは無い。日本人は六世紀まで、むしろ文字の使用を拒んで來た。

 人類が誕生してから24時間しか經ってゐないとすれば、文字を使ひ始めたのは30分程前のことだ。日本人が使ひ出したのは、ほんの數分前のことである。

 しかし、この30分は大きい。この30分の間に、人類は僅か一時間以上前の我々自身を野蠻人だと見なす術を覺えたからである。何といふ恐ろしい進歩の勢ひであらうか。

 しかし、文字があるのに、人の記憶力が乏しくなったのは、この前の大地震を見ても分かるだらう。特に貞觀十一年(869年)と慶長十六年(1611年)に三陸沖で起きた地震の經驗が生きてゐたなら、少なくとも、あのやうな海岸に安直な發電所を建てることはなかった。

 しかし、文字は書かれた途端に炭素の粉になってしまふ。これを生きた人の經驗に蘇らせるのは至難の業になるのだ。文字は一方で人の共有財産を蓄積させて行くが、誰のものでもあるといふことは、誰のものでもないといふことだ。文字は他方では文字に乘れない心を置き去りにして行く。



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2011年11月18日

ブラックホール

 反比例のグラフはx=0の點では描くことが出來ない。yの値がプラスとマイナス方向に無限大になってしまふからだ。しかしxの値がほんのちょっとでもプラスかマイナスになった途端、Yの値は有限になる。有限と無限が連續してゐるやうなのである。

 反比例のグラフなど所詮は机上の空論だが、同じやうに特異點をもつシュヴァルツシルト半径の大きさを持った物質はほぼ確實に存在するだらうと言はれてゐる。

 もし地球が9ミリ程度の半径に壓縮されると、地球の中心では物質の密度と質量が無限大になるといふ。

 しかし地球程度の質量の星がシュバルツシルト半径に縮まることは實際にはあり得ないことらしいが、今年の九月五日、國立天文臺とJAXAは、世界で初めてブラックホールの位置特定に成功したと發表してゐる。これは厄介なことではないか。




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