2011年10月28日

うま(3)

 漢語の駒は、二歳の馬を意味する。馬は四歳以上まで成長するから、二歳はまだ子馬である。日本の馬は大型のポニー竝に小さいから、シナから見ると、「これ馬ないあるね、駒あるだよ」
 といふことになるのかも知れない。

 尤も、魏志倭人傳には、倭には「牛馬虎豹鵲無し」と書かれてゐる。

 しかし物事を「無い」と斷定するのは難しい。この世に幽靈が存在するのを確かめるには、たった一人の幽靈を見つければ濟む道理だが、幽靈がゐないことを證明するには宇宙の果てまで調べ盡くす必要がある。

 倭には無いと言っても、せいぜい對馬や筑紫の倭人に聞いただけの話だらう。だいち、「今までに見たことが無い物」、例へば、江戸時代の日本人に「シオンマオ(パンダ)を見たことがあるか」と聞いても、「なんぢゃそりゃ」としか答へやうがあるまい。

 しかも邪馬臺國とやらの最有力候補地とされてゐる纒向の箸墓古墳からは木製の輪鐙(あぶみ)が出土してゐる。倭の地に四、五世紀迄馬がなかったとは考へられない。馬があれば、當然、馬の呼び名もあっただらう。

 例の因幡の白菟で有名なガマの油は、コマの油のことだと言はれる。今でも馬の油は火傷などの塗り藥として用ゐられてゐる。

 また古事記には大國主の命が馬に乘って出かける情景が描かれてゐる。この馬には鞍や鐙もついてゐた。

 日本語の馬は、おそらくアルタイ語系の民族が「マ」か「モ」といふ言葉を持ち込み、それが倭語らしく「ウマ(ンマ・ムマ)」となったものだらう。萬葉假名では「宇麼」などと表記される。

 日本在來種の小型の馬は大陸のそれより小さかったので、コマ(小馬)と呼ばれることも多い。しかし、四歳を過ぎても小馬のままなので、ウマ一般をコマと呼んでもよいであらう。その頃の馬は今のロバのやうなずんぐりした體型で、起伏の多い我が國に適してゐた筈である。

 我が國の馬は、大化の改新でも去勢術は導入されず、江戸時代以前は品種改良も行はれてゐない。犬猫竝に感情を持つ馬は、道具といふより、人の手足を補ふ生き物として尊ばれたのである。






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2011年10月27日

うま(2)

 天照大御神が忌服屋(いみはたや)で神御衣(かみそ)を織っていらっしゃると、ハヤスサノヲミコトが、その屋根に穴を空け、そこから、天斑馬を逆剥ぎにして投げ落とした。

 驚いた天の織姫(みそおりめ)は、梭(ひ)を陰部に刺して死んでしまった。天照大御神も恐れ、天の石屋戸(いはやど)に閉じ籠ってしまはれた。

 この傳承は口語で語り傳へられた。もし漢字が入ったあとに捏造された話なら、もう少し尤もらしく造ったであらう。

 古事記は、その傳承を文字化したものを讀み習はし、さらに文字化するといふ二度手間を取ってゐる。文字の毒を薄める爲である。

 つまり「天斑馬」は純然たる倭語を文字に表したものである。むろん當時は假名がない。地の文は漢文で書きながら、歌や言葉など、漢文では意味が傳はらないものは、漢字の字音を用ゐて表さうとしてゐる。

 では、「天斑馬」の元になる倭語は何であったか。まづ、天は、古事記にも、空の上を「阿米」と表記した箇所があり、「あめ」と讀むことに問題はなからう。

 問題は「斑馬」だ。

 十世紀前半の和名類聚抄(わみゃうるいじうせう)に、「駁馬は俗にフチムマと云へり。説文に、駁(ふち)は純色ならざる馬なりと云へる」とある。

 駁馬(はくば)とは「まだらうま」、毛色が純粋でない馬を云ふ。

 説文とは、BC100年に後漢説で編纂された漢字字典「説文解字(せつもんかいじ」のことである。

 漢語が十二分に入った平安時代になると、それまでの呉音讀みさへ輕んじ、漢音讀みが正統とされた。ことほど左樣にシナかぶれしてしまった譯だから、フチウマが俗語だといふの文字通りには解せない。

 もしフチウマが俗な言ひ方であるなら、なぜちゃんとした上品な倭語が殘らず、わざわざ漢語で駁馬などと云ふのか。

 編者の源順(みなもとのしたがふ)は和歌にも通じてゐたらしいが、やはり漢學偏重から免れるのは難しいらしい。

 しかし上代には一色でない馬をフチウマと云ったのだらう。ならば古事記の天斑馬もアメのフチウマと讀んでもよささうであるが、書紀は斑馬を斑駒と書く。天斑馬は「アメのフチゴマ」と讀んだ方がよささうである。



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2011年10月26日

うま(1)

 漢語の馬は初め「マ」「メ」、やがて「バ」の讀み方で入っらしい。「マ」では云ひ難いので、「ンマ」と言ひ、やがて「ウマ」に訛ったのだらうと想像し勝ちで、實際、今はそのやうに解するのが普通だ。

 しかし、シナより馬に近しい筈のモンゴル語でも馬一般をモリと総稱する。モンゴル語では、馬の呼び方だけでも細かく三十種類ほどに分けるといふのに、肝心の馬の総稱だけ漢語から借用したのだらうか。

 もしモリと漢語の馬(マ)に關係があるとすれば、むしろ勇猛な北方騎馬民族であるモンゴル語のモリが農耕民である漢の言語に入ったと見る方がよささうである。

 モリは日本風に發音すれば「モイ」ないし「ミ」「メ」となるのではないか。

 滿洲語では馬を「モリン」といふが、これをモンゴル語のモリと無關係だと考へるのは難しい。滿洲語もモンゴル語も同じアルタイ諸語であることは確實だとされてをり、漢語とは別系統の言語である。

 アルタイ諸語に含まれるか、少なくとも近いと言はれる朝鮮語でも馬は「モル」だし、今の韓流ドラマでも「マル」に近い發音の筈である。

 さう考へると、漢語のマや、日本語のウマだけが別系統の言語だと考へるのは難しいだらう。おそらくは騎馬民族系の人間が朝鮮半島経由で「マ」といふ言葉と、おそらくは現物の馬を持ち込んだのだらう。

 そして、その時期は、馬が天の岩戸の話にさへ出て來るのだから、四世紀や五世紀以降の話ではなささうである。尤も古事記のいはゆる神話など繪空言だと切り捨てる通説に乘れば話は別になるが……



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