2011年09月18日

古書どもの事(一)

 日本の古典として代表的なものとして、古事記、日本書紀、萬葉集、源氏物語などがあるが、これらは寫本や刊本のみ傅はり、オリジナルの正本は見出されてゐない。

 我が國の家屋は木造であり、災害のみならず、應仁の亂以来の度重なる戰災、濕度の高い風土、酸性の土壤で如何に多くの資料が失はれて來たことか。まことに口惜しく歎かはしい限りである。

 ただ、古事記や萬葉集、出雲國風土記が遺ったのは有難いことである。もしこれらが殘らなければ、上古以前の日本人の姿、その精神生活が殆ど分からないままになったかも知れないからである。

 例へば朝鮮には、碑文などを除けば11世紀以前の朝鮮語による史書が一つも遺ってゐない。少なくとも七世紀以前の日本列島の住人が現代の日本人と全く同じ民族であったことが分かるだけでも、これは大きな幸ひであると言ふべきであらう。



posted by ゆふづつ at 00:00| 日記 | 更新情報をチェックする

2011年09月17日

儒者の皇國の事をばしらずとてある事(二)

 タウトは云ふ。
「人々は己が貴重な經驗を必ずや文字に刻むであらう。そして刻んだが最後、自らの經驗はきれいさっぱりと忘れてしまふだらう。

 なぜなら、たとひ忘れても、文字を見れば思ひ出すだらうから。かうして人々は自分が覺えることをせず、しまひには道端で遇ふ友人の顏も、携帶に保存されてゐるプロヒールと照合しなければ、果して眞の友人かどうかさへ見分けがつかなくなってしまふだらう。

 彼らの心の内からはすっかりと記憶といふものが消え、携帯がなければ夜も日も開けぬといふ事態はもう目前に來てゐるのだ。

 さう。お前が發明した文字といふものは、記憶の魔法ではなく、ただの思ひ出す手づるに過ぎない。その手づるを手に入れたからといって、肝腎の記憶そのものまで忘れていい道理は少しもなかった筈なのにだ。

 そして例へば、人を動かすのは眞一筋だといふ智慧は、人類が生まれてこの方、語り傳へられて來た。しかしこの智慧を教科書に刷り込んだ途端、この智慧はただのインクのシミに化けてしまったのだ。お前は智慧を知るかと尋けば、萬人は同じインクのシミを翳してかう叫ぶだらう。知ってゐると。

 それゆゑ見るがよい。高見の陳列席に居竝ぶロバ達の顏を。彼らはどんな質問にも即座に答を見つけ出すだらう。彼らの腦みそのシワの間に染み込んでゐるインクカスを、瞬時に吐き出して來るのだ。まこと、彼らとの間に、どんな良好な關係を築いたらよいのだ?」



posted by ゆふづつ at 00:00| 日記 | 更新情報をチェックする

2011年09月16日

儒者の皇國の事をばしらずとてある事(一)

 我々は六七歳で學校へ上がるが、ここで氣をつけなければならないのは、この次點ですでに我々の九割以上は出來てゐるといふことである。言語や抽象的思考能力を除いては。

 そして學校に上がったあと、我々はこの言語と思考能力の獲得と引換に、すでに出來あがった九割の内の多くを眠らせる必要があるといふことだ。この考へ方はむろん確かなものではないが、常識的には大いにうなづけるものだらう。

 この常識を、ここではソクラテスの口を借りたプラトンに語らせてみる。

 曰く。テウトといふ神が、埃及王タモスにかう言った。
「王よ。私の發明した文字といふものを手に入れれば、埃及の人々の智慧は増え、記憶力も進みます。文字は記憶と智慧の魔法なのですから」

 するとタモスは、かう應へた。
「技術の神タウトよ。しかし、子を生む母親に子の未來の責任迄負はせるのは氣の毒ではないか。もし親が子の缺點を知って人を産むなら、この世に犯罪者の數は減るであらう。

 げにお前は、いま、文字の生みの親として文字の二つのコを竝べた。しかし、この二つのコは、同時に正反対の裏側を持つことは知らなかったではないか。これは恰も。原子力発電の開發と、その危險性の檢討を、同じ穴の狢に任せるやうなものではないかな。

 しかし、文字の生みの親ではない私が文字について述べるなら、それはむしろ智慧と記憶を見事に墮落させるであらう。それが證據に五千年後を見よ。智慧は人々の額から石の上へと移り、またあらゆる記憶は石の上に刻まれるだらう。そして人々は恰も石に躓く痴呆のやうに生きてゐる筈だ」



posted by ゆふづつ at 00:00| 日記 | 更新情報をチェックする

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。