2011年09月21日

もろこしぶみをもよむべき事

 日本といふ國はユラシアの端に近く、絶えず文明の波濤の押し寄せる國である。平安時代後期や江戸時代のやうに意圖的に門戸を閉ざした時代でさへ、外國を忘れることは出來なかった。

 當然、外國の書物は無視する譯に行かず、その最先端の情報に明るくなければならない。それゆゑ日本の知識階級は一流の文學を産むことが鮮なく、多くは亜流の地位に甘んじてゐた。

 その例外が紫式部を筆頭とする平安女流文學者達であり、女性がその國の文學を代表する國は日本以外にはない。逆に言へば七世紀から今日に至る迄、男の知識階級はちゃんとしたマザータンを持たなかったといふことなのである。

 それもその筈で、外國の書物はすべて知識階級が理の委細を盡くし、その雄辯を競ふものであるから、それを讀む者が魅了されるのは事の成り行きに過ぎないのだ。

 ここで理とは事を行ふ爲の方法といふことである。その典型は自然科學であり、大砲はまさに國家を動かす力である。この力の前にはあらゆる物のあはれは果敢ない泡の如きものに過ぎない。

 かくして理に走る知識人は己が心さへ幼きものの如くに見なし、つひには己を失ふといふ死の病に至るのである。

 紫式部は幼い頃から漢籍に親しんでゐたが、當時は女が漢字を書くのさへ好ましいこととは考へられてをらず、彼女は一歩引いた罪障感を以て詩文に親しんでゐたのであらう。

 しかも元々自分の生まれ育った國の心、すなはち御國魂が勁かった爲、眞心が動くことなく、外國の書物に踊らされることがなかった。



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2011年09月20日

 右翼、左翼といふ言葉がある。それぞれ保守主義、急進主義的な黨派を表すことが多いが、我が國では歴史的に外國からの影響を表す尺度と考へた方が實體を表す。右翼が必ずしも國粋主義的、保守的とは限らないのだ。

 明治維新の時の急進派を倒幕派、保守派を佐幕派と見ると、薩長が左翼、幕府が右翼にならうが、幕府はもちろん國粋主義ではない。しかし薩長も國粋主義とは言ひ難い。むしろ開國を進める幕府よりも攘夷を言ふ薩長の方が保守派なのである。

 それゆゑ、幕府を現實的な開國派、薩長を反開國
派と見た方がよい。そして薩長が實質上開國に轉じたあとは、賊軍はただの守舊派、薩長は開明派とも呼ぶべきであらう。ともに國粋主義とは關係がない、純粋の政治運動である。

 しかし明治から大正、昭和と移ると、だんだん露骨な外國の干渉が現れる。國際共産主義運動に踊らされる左翼が國家轉覆、社會主義革命を企圖し、これに對抗する體制側が宋學的な國體イデオロギーに傾く。

 ここに到り、急進派が左翼、保守派が右翼であることは明白になるが、ともに國粋主義とは關係がない。現代に至ってもこの左翼右翼の圖式は餘り變はってゐないが、ただ左翼と國際共産主義の關係が薄れ、また右翼が親米保守を標榜するのが面白い。ともに國粋主義とは程遠い。外國の教養を基本にする人々である點は共通する。いくら和服を着てもだ。

 結局、我が國では政治運動はすべて國粋主義とは關係がなく、ただ外國をモデルとする國家體制の選擇の違ひがあるに過ぎない。國家が成り立つ爲には、必ずバックボーンとなるイデオロギーが必要になるからである。

 儒學的律令體制から出發した我が國は、外國の壓力が薄れると原始的聯合國家に先祖返りし、明治維新に到り西歐的立憲政治、敗戰後は大きく英米の制度に習ふといふ方策を採った。



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2011年09月19日

古書どもの事(二)

 日本書紀の寫本は九世紀の物が最も古い。ただし、五六世紀以降、日本語は著しく變はったと思はれ、訓みも誤ったものが多く、寫し間違へと思はれるものが多いやうである。

 だから江戸時代の國學者が讀んでも非常に難解であり、まして現代のやうに古語については素人に毛の生えた程度の歴史學者が讀んだものは、殆ど見當外れと斷じて間違ひはない。

 現代の學者は膨大な知識の習得で忙しく、肝腎の國語を知らないのである。日本書紀をある程度讀み熟すには、少なくとも古事記や風土記、萬葉集は全篇暗誦してゐるぐらゐの素養が必要だらう。言葉は腦の中に刷り込んでおかなければ母國語ではない。

 高校や大學で古文を習ったといふ程度では、文化廳推薦の正しい日本語にも及ばず、恰も古今亭志ん生の落語を英語に譯したのを讀むやうなもので、ことごとく頓珍漢の解釋とならざるを得ない。現代の國語教育は宜しく廢止すべし。



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