2011年04月27日

くら 八

 と、水浴びをして疊に寢轉んでゐたら、晴美が來た。それも大倉廣見を連れて來た。大倉家は大見家と同じく舊蘇芳藩の家臣だが、舊蘇芳家での家格は大見家より數段も高い。

 そんなこともあり、父大三郎も彼を苦手にしてゐたやうだが、そのコムプレキスがどうやら健作にも遺傳してゐた。そんな馬鹿なとも思ふが、年をとるに連れ、實際、その傾向が嵩んで來るのだから仕方ない。慌ててトランクス一枚の上にズボンとシャツだけを纒ひ、居間へ挨拶に出た。

「いや、お疲れのところを濟まないね。をとつひ、例のブロンズ像を見て來たよ。期待した以上の出來榮えで、今の處、あのセンタアでは唯一、後世に殘る物だと思ふ」

「いいえ、私の作品を御推擧戴いたのは大見先生だと伺ってをります。その先生がさう仰って下さると多少は肩の荷が降りたやうな氣が致します」

「何を云ってるのよ。それぢゃ先生のお世話が餘計なお荷物だったみたいぢゃないの。そんなのはいいから、今日は無礼講。少しアルコホルで肩を解しませうよ」

「そりゃいいなぁ。そこで少し肴を誂へて來た效があったといふわけだ」



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2011年04月26日

くら 七

 御堂橋の家へ着いたのが三時前。晴美は重箱を鰻屋へ返しに行ったあと、こちらへ寄ることになってゐるが、まだ來てゐない。

 やうやくセンタアの仕事も終り、暫くはゆっくりと出來さうだ。仕事と云へば企業の廣報誌に連載してゐるエッセイと水彩畫だけで、これも暇な時に貯金して置いたもので當分は賄へさうである。

 こんな時は、自分の好きな仕事に手を廣げたい處なのだが、仕事には大きな波があり、何かが自分の中で起らない限り、何をしても物にはならない。大袈裟に云へばセンタアの仕事で一區切りがついた氣がし、仕事をする時に芽生えるべき種がまだ蒔かれてゐないやうな氣がする。

 無論、住む家を親から貰ひ、多少の資産もあるが、普通の勤め人同樣の生活をしたら長生きは出來ない程度のものに過ぎない。不安もあり焦りもないと言へば嘘になるが、これ以上に惠まれた生活を望むのも罸が當らう。誰に強ひられた譯でもなく今の道を選んだのだから。



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2011年04月25日

くら 六

 上田家の家は、由水下の建物をそのまま持って來、一部を補修の上、西北に二階家を増設してゐた。座敷の南側が籬に圍はれ、周圍に櫻だの金木犀だの、餘り大木でないのが植わってゐる。

 特に櫻の移植には専門家の手を借り、相當の手間がかかったと聞く。その效もあり、もう何十年も住み古した風格さへ感じられた。

 福子には寄って行くやう勸められたが、皆まだ畑作業に出てゐるらしく、屋敷内には誰もゐない。風呂敷に包んでくれた野菜を一抱へ、肩から下げ、「優作はここに來たことがあるのかい」と尋くと、「いいえ」

「今度は彼を連れて來るよ」
「是非また、嬉しいです。三人でいらして下さい」
 と笑みを浮かべた。
「ぢゃあね」
 と家の入口で別れ、曲がり角のところで振り返ると、人の氣持ちの分かる、好い女だ。晴美が彼女の身の上を心配するのも無理はなかった。



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