2011年03月19日

さみだれ 十一

 朝食が濟むと、父母と姉、三惠は庭へ、兄は書齋へ、禮と龜は學校へ出かけた。

 父と母の仕事はと言へば、辨當の製造と販賣、配達とであった。藤サが營業と配達、マヨサが調理を擔當するが、基本的には姉や三惠を加へた四人が共同でする。

 五歳になったばかりの三惠は、鐵兄の願ひが通じたか、その名の通り、祖母の美津枝とよく似てゐるらしい。ただ、氣象は母親の美代子とも似てをり、いつも母親と一緒。鐵兄に據れば、子供の頃の美代子姉とそっくりなのださうだ。

 美代子と三惠の仕事は主に畑仕事で、今日はキャベツを穫り入れる。本日の辨當、メインはこのキャベツを用ゐた鮭の味噌燒ださうで、父藤サが五十個の注文を取ってゐた。

 朝食はその試食會も兼ねてをり、母マヨサの手にかかると實に想像もつかないやうなお數が出來上がる。彼女の料理の腕もさることながら、かういふマヨサに廚房一切を委ね、自分は裏方に囘る藤サも流石だと言へた。

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2011年03月18日

さみだれ 十

 ところが翌年の春には内戰も一段落。日本人の内地歸還が始まると、藤三郎は一番乘りが出來た。これも廣見の盡力によるものだが、藤三郎は何か目に見えぬものが働いたと思ってゐる。

 いよいよ引き上げ列車へ乘るとき、廣見が新京の驛へ見送りに來、二千圓札を出した。
「日本に着けば日本圓に交換してくれる筈だ。その遺骨は必ず縁者に届けてやってくれ」
 と。

 彼自身は、父親の下で働いてゐた日本人を殘らず見送るまで、滿洲に居殘るつもりだった。その爲、歸國は藤サより半年も後れることになった。

 ともかくも藤サは、アメリカ船で博多へ向った。鮨詰の船倉にゐたら、萬歳の聲が聞こえる。デツキに出ると、六年振りに拜む祖國だ。その目に染みる日の本を眺めながら、藤サは未だ滿洲の地を這ひ囘ってゐた。

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2011年03月17日

さみだれ 九

 後で聞いたら、連中、酒瓶やら豚肉、電氣製品から時計、万年筆と、めぼしい物は手當り次第持ち去ったさうだ。尤も滿人女、そんな事もあらうと、若い女を全部逃し、家の中の高級品は全て隱して置いたさうだ。

「机のサックは何だ?」と聞くと、廣見の父親の景見が、若い者が外出するときに持たせるやう、大量に備へつけて置いたものなのだと。さすがに景見さんで、そんなところまで氣を配ったから、かうして滿人のメイドまで留守を守ってゐる。藤三郎もそのお蔭で助かった譯だ。

 しかし、この家も危なくなった。その夜の内に脱け出し、これまた廣見配下の手引きで、今度は粗末な借家に轉がり込んだ。近くには大きな公園まであり、なかなかの隱れ家ではあったが、だんだんとソ聯兵の姿が目立つやうになった。

 本格的な占領に入ったか、治安は多少好くなったのに、今度は捕まるとシベリヤ送りになると言ふ。なにしろ日本人ほど粗食でも能く働く勞働者はゐないのだと。やれ難儀な相手に負けたものだ。

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