2011年03月26日

あをくも 三

「だいたい笠掛なんていふのは、江戸時代はちっぽけな領で、たまたま蘇芳重高といふ人が家康の家來だったから、家種の跡に据ゑられただけ。大阪の陣で五千石の加増があってやっと大名に成れたんだよ。その後も吉宗公が笠懸など流行らせると、笠掛を笠懸と書いたりしたお調子者だ」

「しー、ちょっと聲がでかい。そんなこと云ふと、重高のお化けが出て來るぞ」
「うへぇ。明るい内に巡囘へ行っとこ」
「塀の外は囘らなくていいぞ。今日は二人だけなんだから短かめにな」
「わかった、わかった」
 鳥飼、上機嫌で出た。

 警備日誌によると、昨夜は及川橋の袂に暴走族が出たらしい。宿直の迫田が近附いたところ、木っ端を投げつけられた。元々は沼地だった場所が、由水小が移轉してからは空き地だったものを、今は道路工事の資材置場のやうになってゐる。

 センタアの外囘りは巡回コオスの外だが、几帳面な迫田は足を伸ばしたらしい。それ以上のトラブルがなかったから幸ひ、怪我でもしたら大變なことになる。

posted by ゆふづつ at 09:00| 日記 | 更新情報をチェックする

2011年03月25日

あをくも 二

「このセンタアの正門の前の道なぁ、少しカアブしてるだらう。今は綺麗に舗装されてゐるけんど、昔は砂利を運ぶトロが走ってゐたんだよ」

「さうらしいなぁ。今は廣くなったけど、及川街道も昔は農道だったんだらう」

「昔、蘇芳藩が人夫を住まはして、堤防や導水路を作らせたんだな。人夫は他國や太ヶ谷邊りから連れて來た。連中を川負ひと言ったらしく、それでこの邊りを及川と言った。昔はあんな山の中に住む奴はゐなかったんだよ」 

「小野の邊もか」

「元は小野と言ったのを今は及川と言ふんだらう。いま小野といふのは、川の上の平地のところだけを言ふんだらう。昔は及川と言ったら、みんな小野の邊も含んでゐたのに、今は街道沿ひの處を及川、岡の上の方を小野と言ふんだ」

「ふぅん、ややこしんだなぁ」

posted by ゆふづつ at 09:00| 日記 | 更新情報をチェックする

2011年03月24日

あをくも 一

 月曜、センタア休園日も、今日は工事がなく、朝からしんとしてゐる。喧しいのは衞視室ばかり。かうなると時間が經つのが遲く感じられるから厄介なものだ。

 休園日の日直は、夜間と同じ二人態勢で、本來なら坂前は休みを貰ひたいところだが、今日は新人の鳥飼が當直なので、念の爲に坂前が入ってゐる。鳥飼は印刷會社を定年退職したばかり、一見穩和だが稍曲者だといふのが田ノ岡の分析であった。しかしまぁ仕方が無い。この男が入ったお蔭で夜勤は週に一度で濟むことになった。

 その鳥飼が、「しかし、この邊りも見違へるほど綺麗になったもんだね」と賞めてゐる。「昔はよく川釣りに來たもんだけんど、この及川の橋は木の橋で、大水の度に流されてゐたんだからねぇ」
「ほぉ、いつごろの話ですか」
「おいらが小學生の頃、まだ戰前の話だけんどよぉ」
 と、やや間を置いて自分で笑ふ。暢氣なもんだ。

「その頃の家も今と同じ?」
「いいや、その頃の壽町は田圃に畑ばっか。誰も住んぢゃゐないよ。おいらがゐたのは下房。オヤヂが床屋をやってゐたんだよぉ」
 と甘えたやうな聲を出す。坂前より五つほど年上だが、可愛いらしい處があった。禿で無精髭、野武士然とした見かけはさておいて。

posted by ゆふづつ at 09:00| 日記 | 更新情報をチェックする

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。