2011年02月25日

コロシアム 九

「あの店は客が少いけど、上客が多い。まぁ商賣柄、誰が來てるとは言ひ難いけど、この笠掛ぢゃ名の通ってる人ばかり」
「例へば、誰」
「うひゃっひゃ。それは言へないな。あんたたちのことも、昨日センタアの係長と川練のセンセが來たなんて、口が裂けても言はねぇ」

「俺は別に係長なんかぢゃねぇし、なんでこいつが川練の教師なんだよ」
「上田の藤さんとこのボンさんだろ。笠掛ぢゃ知らん者はないよ」
「おい、いつの間にか身元がばれてるぞ」
 と鐵を揺するが、目を閉じて狸寢入。

 しかし桑野の言ふのも大袈裟ではない。この家のことは、嘘も眞も、言ひ盡くされて來た。古い住人なら、二十年も前、十五で早世した姉の亊も知らぬ者はゐまい。

 車がセンタアの北を拔けた。通用門がまだ開いてゐるから、事務の誰か、おそらく上田福子邊りが殘ってゐるのだらう。嗚呼、飮んでもゐないのに頭痛がして來た。

posted by ゆふづつ at 22:00| 日記 | 更新情報をチェックする

2011年02月24日

コロシアム 八

「私は初婚なんですが、向うはもう高校生の息子がゐる。再來年は大學に行きたいと云ふんで、ああやってアルバイトしてるんです」
「でもあんまり儲かりさうな店ぢゃないのに、夜遲くに大變だねぇ」
「ひゃぁひやっひゃぁ」と桑野、こっちが喫驚するほど馬鹿笑ひして、いつまで續くか。ただ家が近いから頼んで見たんだがねぇ」

「あの店、さう新しくないみたいだけど、前からあったの」
「あの邊は、戰前は軍需工場目當の酒場が澤山あって、二三十年前までは四五軒の飮み屋が竝んでゐたんだよ。それが今は寂れて、たうとうあの一軒になっちゃった。それに今は住宅地でカラオケも出來ないんだから商賣にゃならない。よくやってると思ふよ」

「今晩は臨時休業みたいだけど、よく休むのかね」
「日曜休日以外に休んだのは見たことがない。今日は休みなのにやるって言ふから、どういふ風の吹き囘しなんだらうって、女房とも話してゐたんだよ」
「ふぅん、さうだったの」

 今日は大見と會ふ約束があり、四月にコロシアムに行った際、晴美に、五月三日の祝日は店をやるのかと聞いたら、確か「開く」と答へたやうな記憶がある。しかし醉ってゐた所爲もあり、よく考へると曖昧なのだ。もし優作の勘違ひなら、今日は濟まぬことをしたことになる。

posted by ゆふづつ at 23:00| 日記 | 更新情報をチェックする

コロシアム 七

 桑野のタクシイが飛んで來た。店を出ると眞暗。看板も出してゐなかった。見送りに出たママに、「今日は貸切かい」と聞くと、「申し譯ないので」と笑ふ。

 やれやれ疲れた一日だと、優作、鐵の順に乘り込んだ。桑野が身を乘り出し、「お前、どうする」と、アルバイトの女に聞いた。女が手を横に振ると、桑野はドアを閉め、車を出した。
 鐵が、「及川の石庭へ」と頼む。石庭は優作の家のある處だ。
「濟まんな」
「明日も休みですから」

 車は寂しい欅通りを走る。まだ八時前だといふのに、人や車の影もない。
「さういや、今の新しい人・・・」
「實は女房なんですよ、ウチの」
「へぇ」
 桑野より十は年上に見えるが、さうも言へない。

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