2010年11月19日

あかつき 七

 父がいつこんな遺書を書いてゐたのかは分からない。いづれにせよ春頃から心身に變調を來たしてゐたことは確かで、助役職を辭し、御堂橋の別荘に一人で籠ることが多くなった。

 今思へば、夏休みに入った健作が別荘を獨り占めし、父を落合の本宅へ追ひ遣ったのも、病を加速させる原因だったかも知れない。職を離れた父は、出歩くでもなく、ただ憂鬱と戰ってゐたやうに見える。そんな父を、母も健作も、まるで思ひ遣ることなく、自ら命を斷つまで、放置してゐた譯だ。

 父は家を穢すのを嫌ったのだらうか、川の中で腹を切ったやうである。遺體は由水川の下流、湯殿橋の下流で發見された。檢死の結果は、死後十時間前後、死因は割腹に因る出血と失神、川水の吸引による窒息。刃物は父祖傳來の物が使はれてをり、刀身が離れぬやう、褌の紐が鍔に結ばれてゐた。

 鞘は施錠された本宅に保管されてをり、刀身はロッドケエスに入れて現場へ運んだやうである。ケエスは落合の川邊に遺棄されてをり、その附近から川へ入ったものらしい。本宅の机上には妻と二人の遺兒に對し、それぞれ自筆の遺書が置かれてゐたことから、擔當官署は自殺と斷定して處理した。

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2010年11月17日

あかつき 六

 かつなり へ

 自分は今 非常に平靜に この遺書を書いてゐる お前がこれを讀むときには 遠く離れたところにゐる だから 今 これを書いておく どうかいからず 素直に聞いてもらひたい

 一つは 醫師が何と云はうと 私は病氣ではない 明らかな一つの心を持って 歸らぬ一つ道を選んだことを疑ふな

 病氣といふものは 大眞面目に向き合ふときは 負けたやうに見えるものだ 世の中の人が何と言はうと けして負けたのではない 病を我が物としたのだ このこと ゆめ疑ふな

 私はこれまで 自分の出來ることを努めて來たつもりだ だからお前にも お前が思ふままに歩むことを望んでゐる 學校のことではお前にも苦勞をかけた あとで母さんから聞いて氣の毒なことをしたと思ふ

 しかしもう氣遣ひは無用だ お前の本當に喜ぶ顏だけが見たい それが母さんの願ひでもある

 あかつきの よもたのしける ひとのよを なつかしみつつ さとわかれゆく
 
 許せ やはり旨く書けない しかしかつなりなら きっと分かるときが來る お前を見守りながら 黙ってゐる男がゐることだけ 忘れるな

 きさい より 

posted by ゆふづつ at 22:27| 日記 | 更新情報をチェックする

2010年11月16日

あかつき 五

 何も考へず、闇雲に歩いてゐる内に豊川へ着いた。街道北側に沿って豊川の用水堀が流れ、南側には送電線の鉄塔が竝んで行く。畑地の間に點々と住宅が見え、その向かうになだらかな丘陵。もう春めいて青みがかり、またピイヒョロロが鳴いてゐる。

 鳥の寢座は山の上にあるのだらうか。自分も鳥になってみたい。どうしてかう、詰まらぬことばかり考へて生きなければならぬのか。あの鳥のやうに、時には戰ひ、破れ、傷つき、死んで行くのがなぜ惡いのか。人だけが、怯え、恐れ、生き長らへる理由はあるまい。

 或は上田芳江の生も、あの手の平の鳥のやうではなかったか。餌を求め、空を飛び囘り、地を跳ね、壁に當って死んだ。あの時の彼女は自分を葬ってゐたのではないか。しかし今の健作は鳥になることが出來ない。

 父は母と健作、妹のそれぞれに宛て、一通づつ書き遺して往った。健作宛のものは一番長く、自分は今、非常に平靜にこの遺書を書いてゐる、といふ書き出しで始まってゐた。

posted by ゆふづつ at 22:45| 日記 | 更新情報をチェックする