2010年11月30日

まど 八

 蕎麥屋は右手の方にあった。驚いたのは、博物館の邊りにあった小學校が、さらにその東側に移ってゐたことだ。鐵筋の立派な校舎が建ってゐる。
「この小學校は」
「由水小學校ですよ。もう二十年も前に建て直しになったのですが、今は生徒數も増え、全部がこちらへ移轉してしまひました。しかし木造の舊校舎はセンタア内にそのまま保存されてゐるんですよ」

「それは懷かしいですねぇ。學校はやっぱりあの歩くとギスギス云ふ音と床磨きの匂ひがありませんと」
「これは嬉しいことを仰る。センタア内には江戸時代の御堂を再現した作り物もありますが、舊村上家の養蠶農家なども補修展示されてゐます。この農家を含む敷地は上田藤三郎が市に無償で提供してくれました」

 上田藤三郎。記憶に殘るその名の持ち主を思ひ出さうと空を見上げると、
「由水下の上田邸だよ」
 と田ノ岡が助け舟を出した。三十年以上も前の思ひ出が一氣に噴き出して來た。ちゃうど妻敏子との婚約時代に職務上の關はりがあり、笠掛時代にも印象に殘る出來事だった。

 しかも、坂前が笠掛を離れたあと、一家を襲った悲劇はテレビのニウスにも流れた。當時は田ノ岡も本部へ移動してをり、その不可思議な出來事は週刊誌などで讀む他はなかったのだが。

posted by ゆふづつ at 21:00| 日記 | 更新情報をチェックする

2010年11月29日

まど 七

 左手に疎らな人工林のやうなものが見える。
「一應はバアドサンクチュアリといふことにはなってゐるんだがね。折角あった沼も埋立てちゃったし、今のところ雀ぐらゐしか來ない」
 と大倉が笑ふ。

 笠掛市も北部に大企業の工場など立ち竝び、ちょっとした産業團地が出來てゐる。その分、税収も豐かになり、このセンタアも潤澤な豫算に任せて作ったのかと思ふが、やはり色々な思惑が絡むのだらう。

 田ノ岡も、
「さうですなァ。これだけの林ぢゃ巣も作れない。直ぐ前が川だし、向かう岸は山ですから。失禮だが、何がバアドサンクチュアリかと思ふ」
「まァ笠掛市としては相當な豫算をかけて作ったもので、やはり色々な都合が出て來るものらしい。私などの思ふやうにはなりません。しかしあと三十年もすれば、森らしくはなるでせうな。その頃は本物の森がなくなってゐるだらうからから、それはそれで役に立つのかも知れない」
 
 通用門を出ると、北側に高級住宅地が廣がってゐる。昔は畑地に森、茅葺の百姓家が點々としてゐたが、今はその面影もない。
「坂前さん、晝食は蕎麥屋でも宜しいかな」
 と大倉が聞いた。

posted by ゆふづつ at 23:25| 日記 | 更新情報をチェックする

2010年11月28日

まど 七

 窗の外、左手から田ノ岡が現れた。その直ぐ後に白髮の紳士。二人とも南側から囘って來たやうだ。紳士はガラス越に坂前と目が合ひ、互ひに會釋した。

 コンコンとノックがあり、顏を覗かせた田ノ岡が、
「センタア設立委員長の大倉さんだ。紹介しておかう」
 と、坂前を招き寄せた。急ぎ廊下へ出ると、今の白髮の紳士がニコヤカに笑ってゐる。

「さきほどお話し致しました坂前でございます」
 田ノ岡の紹介に促されて挨拶。冷や汗を掻くが、もう六十は過ぎてゐるやうに見える大倉、手にしてゐるステッキを握ったまま、
「今から我々、晝食を戴くのですが、貴方も御一緒に如何ですか」
 と誘ふ。田ノ岡も頷くから無論承知だ。

 三人で表へ出る。穩やかな日が差し、風も温くなったやうだ。薄手の半コートが丁度好い。
「ここらは何も無かったところなのですがねえ」
 大倉は邊りを見廻した。坂前もよく憶えてゐる。今歩いてゐる場所の直ぐ右手が小學校、左手は濕地に蔬菜畑、夜になると蛙の大合唱が聽こえてゐた。

posted by ゆふづつ at 23:03| 日記 | 更新情報をチェックする

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