2010年10月20日

いひなづけ 八

 晝になると、店は人手に任せ、マヨサも歸って來た。

 晝は藤サの好きな蕎麦。寒い季は熱いのに蒲鉾と青物を載せる。出汁は鰹と煮干、調味料は醤油だけといふのがマヨサの流儀だ。ここは東京なのに、まるで笠掛に歸ったやうな氣分になる。

 圍爐裏こそ無いが、由水下にあった小箪笥や置き時計、小物の入った茶箱などが置いてある。卓袱臺の上で蕎麦を啜りながら、
「あの繪なァ、久代が最期に描いたものぢゃないか」
 と藤サ、壁に掛けてある美代ちゃの繪を見上げる。

「この繪は本當に私なのかしら」
 美代ちゃもまた形見分けの時に初めて見たのだ。
「そりゃ誰が見たって、さうだらう。ただ、あの頃の美代ちゃにしては少し大き過ぎる氣もするが」
 サヨサは本人を見て描くのではなく、後から想像して描く。美代ちゃは年よりも二つ三つは増せて見えた。

「私どもが參りましてからは、繪を描かれるのを拜見したことがございません。繪の道具があるのさへ存じませんで」
 とマヨサも云ふ。それもその筈、サヨサは藤サの歸りが遲い時など、眞夜中にこっそりと描いてゐた。

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2010年10月18日

いひなづけ 七

 箱の中身は、どこをどう間違へたものか、サヨサの人形だった。しかし藤サは平氣で、「ふっこがなァ、今年は美代ちゃが來れないと聞いて、それならこれを上げてくれと言ふんだよ。雪子もそれが好いと云ふから持って來たんだ」と云ふ。

「なァに、久代もこの人形は美代ちゃに渡すつもりでゐた。まだ鐵達が來る前の話だよ。もし美代ちゃに弟か妹でも出來たら、美代ちゃを養女に貰はうなんて蟲の好いことまで考へてゐた。その内に鐵や芳キが來ても、あれは三人とも自分の子のやうに思ってゐた。その氣持は死んだ後でも變はらないだらう」

「芳キや美代ちゃが無事立派に育ったのも、この人形のお蔭だ。しかし芳キはもう高校生になるし、昔なら立派な大人だ。もう雛祭りに皆が集まるのも難しくなるのだから、これはこちらへ置かして貰はう。そして美代ちゃに娘でも出來たら、その子に渡して貰はう。さうしたらタカさんも久代もきっと歡ぶだらう」

 美代子は正座したまま、頬を赤らめ、默って頷いた。しかし藤サも然うなら然うと一言ぐらゐ相談して慾しいものだ。尤も鐵には意見といふほどのものは無いのだが。

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2010年10月17日

いひなづけ 六

miyo55.jpg

 一階が六疊にキッチン、二階が六疊に四疊半の小さな家だが、以前はお店にしてゐた部分が今は玄關になってゐる。昔は煤けたやうな陰氣臭い家だったが、來る度に落ち着いた好い家になってゐる、と大倉の小父さが褒めてゐた。

 藤サが戸を引き、「ご免よォ」と聲をかけると、キッチンから美代ちゃが。二月前に逢ったばかりなのに、また少し大人びたやうだ。背も鐵よりは十糎も高い。しかしよく見ると、芳キの御古の、コオル天の吊りスカアトを着いてゐる。これなら少々古呆けた人形でも悦ぶかも知れない。

「おぢ樣も鐵ちゃも今日はありがたうございました」
「それでこれなんだが」
 藤サは挨拶もそこそこに居間へ入り、例の物を出した。
「へぇ、嬉しい。これは前に一度、笠掛のお屋敷に飾って下さったものですネ」
「ほぉ、見たことがあるの」
「はい。サヨサのおば樣のお人形と竝べて。さうしたら開チャのおば樣が、かうして竝べて見るものぢゃないはよと仰って」

「なるほどなァ。二つ竝べたら、久代の方が立派だからなァ。タカさんが實家から持って來たもので、見た目も少し大きいし、何とかって名人が作ったものなんださうだ。まァ、そんなことを言ひながらこれを出すのも妙な具合なんだが」
 藤サは笑ひながら箱の紐を解いた。

posted by ゆふづつ at 18:00| 日記 | 更新情報をチェックする

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