2010年10月26日

とこやみ 四

 羽多岐の驛へ着いたが、受驗生らしいのは餘りゐない。ひょっとしたら試驗は昨日だったのかも知れない。それならそれで仕方がない。その場合は補缺で豐川へ行くこともないから、三年間は修道僧のやうな生活を送ることになる。川練學院への入學手續はすでに濟ませてあった。

 川練への受驗は、當初、母親のくみ子の反對に遭ったが、父大三郎 の贊成もあり、豐川に落ちたら、といふ條件つきでの受驗となった。新設校でもあり、全寮制やら平日の外出禁止が敬遠され、實質倍率は二倍にも滿たなかった。

 笠中からの受驗者もゐたが、殆どが羽多岐や豐川との併願だらうし、實際に入學するのは精々が四五名、その中に健作の親しい者は一人もゐない。要するにこれまでとはまるで違ふ學校生活になる。これもまた運命のやうなものであらう。

 通勤に集まる人を避けつつ北口へ出ると、一月に來た時の光景が、そのまま廣がってゐた。書店、文房具屋、時計屋、果物屋、御菓子司といった瀟洒な店の竝ぶロータリーから、東西と北へ大路が伸びる。北へ進めば羽多岐、東へ行けば川練學院に通ずる。いづれにせよ、これが運命の岐路になるだらう、とぼんやりした頭の中で思った。

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2010年10月24日

とこやみ 三

 電車は定刻の七時十五分に發った。厚着の所爲か、少し汗をかいたのが冷え、尻の邊りだけが妙に生温い。頭がどんよりと重く、この頃の睡眠不足が少し祟り始めたやうだ。食慾もなく、朝食に食べた即席麺を思ひ出すだけで吐き氣がする。とてもではないが、試驗を受けるやうなコンヂションではなかった。

 湯殿に近づくと急に住宅地が増え、數年前に出來た湯殿商業のグランドや校舎が見える。商業高校など初めから眼中になかったが、かと言って普通科に進む理由も無いと言へば無い。健作の漠とした希望としては美術教師にでもなりたいと思ふが、その爲には美大を出る必要があり、その爲の普通科に過ぎない。

 商業へ行けば簿記や珠算を學ばなければならないから、普通科とは要するに、いい年をして何も學ばない半端者が行くところだ。普く通るとは良く言ったものである。何でも喰ふ豚の胃袋を持つより、氣難しい胃袋のまま餓ゑ死にしろ、とはニィチェの言葉だったか。

 町竝は途切れないまま豐川へと進む。南、川沿ひにある豐高は健作のクラスからも三人ほどが進む。顏見知りの先輩も百人近くはゐよう。健作も補缺で進む可能性が大きく、むろん栗林も來るだらう。初めからここを志望すれば良かった。それを妙な行き掛りで羽多岐など受けるから、かういふ罰當たりなことになる。額の邊りが熱ってゐるのに、身躯だけ妙な寒氣に襲はれて來た。

 
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2010年10月23日

とこやみ 二

 羽多岐の驛はサラリーマンだのBGだのに混じり、笠中からの受驗生らしいのもゐた。もしや上田芳江などと顏を合はせるのも具合が惡いから、かなり早めに來た所爲もあり、顏見知り程度の者しかゐないのは幸ひだ。

 階段に近い最後部、進行方向左側のクロスシイト、窗邊に座る。まだ客は疎らだ。窗の向かうに笠掛盆地、遠く北山連山まで早春の景色が見える。地膚の畑地にアパアト、倉庫のやうなもの、教會の聖堂や幼稚園など。しかし人っ子一人見えない。何と陰鬱な光景であらうか。溜息を吐くと窗硝子まで曇った。

 あァ、早くこの詰まらぬ仕事を切り上げ、春の景色でも描きたいものだ。どうせかういふことになるなら、初めから豐川を受ければ良かった。豐川なら川堤の道を自轉車で通ふことも出來るし、好きなことをしても三年は過ごせる。それを詰まらぬ面子で羽多岐など受けるから、かういふ虜囚のやうな患ひを被る。

 その上、羽多岐は落ちる蓋然性が高いが、その場合は健作の5組からは一人も進學しないことになる。上田の2組などは三人も受け、三人とも合格するといふ噂で持ち切りだ。もしそんなことにでもなれば、唐黍の5組の不振ばかり目立つ。栗林が第一志望にする豐川も、例年は一クラスから五六人は進むのに、今年はそもそも三人しか受けてゐない。

 その最大の責任者は唐黍、敗因の最たるものは、金谷の轉校と健作の期待外れ、といふ話になる筈だ。馬鹿馬鹿しいと言へばそれまでの話であるが、その馬鹿馬鹿しさから逃れぬのがまた腹立たしい。

posted by ゆふづつ at 21:00| 日記 | 更新情報をチェックする

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