2010年09月30日

みさを 十三

「ほとけや」とは御佛のおはす御堂のことか、それとも八百屋帽子屋の類の「佛屋」のことか。ぼんやり、頬杖を突いてゐると、そこへタカ樣が現れた。
「やはりここにゐたのネ。みんなが歌留多をやってゐるよ。お前さんを探してゐるよ」

 芳江が座り込んでゐるのを見ると、脇へ寄って來、
「何だか、お前樣も久代に似て來た。不思議なものだねェ。わづか四五十日の縁だといふのに」
 芳江のゐる机の側へ座り、嬉しさうにしてゐる。

 芳江も居ずまひを正し、
「サヨサの母上を忘れることは出來ません。私には血の繋がった姉がゐるのですが、その姉を見てゐると、もしも母上にめぐり遇ふことがなかったら、私も」
 そこまで言ふと聲が詰まり、涙が溢れ落ちた。

「そんな偉さうなことぢゃない。久代には、ただお前樣が愛ほしかっただけだよ。その心がお前樣に乘り移った。これからも天を敬ひ、父を助け、母を勞り、弟を立て、妹を守りなさい。ただそれだけだよ」

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2010年09月29日

みさを 十二

 聖田には會集所の向かひに三十疊ほどの宿所があり、九疊の廣間の他に浴室、廚、小部屋等が附いてゐる。何も行事のないこの時期は廣い宿所を氣ままに使ふことが出來、鐵が獨りで大廣間を、芳江は小部屋をふっこと二人で占めることになった。

 ここにはピアノも教科書もなく、芳江にとっては殆ど何にも拘束されずに濟む自由な時間だけがある。晝間は佛屋のすす拂ひを手傳ひ、退屈すると奥津城、里わと歩き周った。村の内には知り合ひも出來、三時のおやつを振る舞はれるときもある。

 昏くなる前に歸り、庫裏で入浴、夕食を濟ませる。こちらにはまだテレビもないから、皆、好き好きに眠くなるまで過ごす。その内に藤サから電話があり、大倉夫妻とともに湯殿で夕食だと云ふ。さもありなん。最初から大きな子供のゐる夫婦は夫婦でもあり夫婦でもなし、こんな時にしか夫婦にはなれない。

 鐵がふっこ、寛子や行子を相手に歌留多を始めたが、芳江は遠慮して書齋へ籠った。この部屋はサヨサが使ってゐたものらしく、今でもその薫りが殘ってゐる。

 違ひ棚には蒲鉾板のやうなものに筆で「てら」と書いたのがあるが、これはサヨサの父寛文が朽ちた櫻の木に書き、門前に懸けたものだといふ。かういふ世の中に通用しない父寛文の不器用さは、そのままサヨサに遺傳してゐる。

 その右にある櫻の小枝は、小學校に上がって文字を習ったサヨサが書き、父の「てら」の下に懸けたものだと言ふ。父に似せた手で「ほとけや」とある。

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2010年09月28日

みさを 十一

 開チャがすす拂ひ等を手傳ってくれ、外が眞っ暗になった頃、やうやく表にタクシーの音。

 ナナは吠えないが、藤サにしては一寸違ふ。誰だらう。開チャと二人、耳を澄ませてゐると、背戸が開き、藤サ。なるほど、後ろに廣見も。二人とももう出來上がってゐる。
「久し振りだ。外で飯でも食はうよ」と藤サ。

 本當に久し振りだ。とくに子供達抜きで、廣見の夫妻と一緒の外出など初めて。ナナを叩きへ入れ、ご飯をやってゐると、厠から出て來た藤サが、「今日は二人の結婚記念日だ」と云ひ、意味ありげに目配せをした。

 はて、さて。廣見達の結婚記念日とは何だらう。この二人は終戰の翌年の夏に滿洲から歸還、間もなく落合で暮らし始めたと聞く。ただ擧式だけは父親が生還してからといふことで待ち侘び、たうとう擧げず仕舞ひに終はったと言ふ。年の暮れになって初めて入籍でもしたものだらうか。

 が、ともかくも開チャが前に乘り、後ろには廣見、雪子、藤サの順に乘った。行先は湯殿、ライラック。
「やァ、二人ともお疲れ樣。さっき、廣見と驛でバッタリと鉢合はせをしてナ。忘年會でもといふことになったらサ、ふっとお前さん達のことを思ひ出したんだ」
「それで疲れてゐる君達に夕飯を作って貰ふより、遇には外で食はうといふことになってネ」
 と見え透いたことを云ってゐる。開チャが小欠伸をした。

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