2010年08月19日

聖田 七

「ふぅん、そんな話があったの」
 と美代ちゃは感心するが、さうなると御堂まで登らざるを得なくなる。
「美代ちゃは御堂、上ったことあるか」
 と尋くと、
「ない」
 心もとない返事だ。

 仕方ない。鐵が先導に美代ちゃが殿軍に交替し、御堂の橋を渡った。右に曲がって直ぐ、細い道が出來てゐるが、夏草が生ひ茂り、下手に歩けば手足に傷がつく。丈の高い草を蹴倒しながら先へ進むのだが、實は鐵も御堂に上るのは初めてだった。

 振り返ると、直ぐ後ろにふっこ。あとは芳キ、美代ちゃと、圖體ばかりでかい、役立たずの女どもばかりだ。もし化け物が出たら、ふっこだけ擔いで眞っ先に逃げる他はない。鐵は女二人を見捨て、子供と一緒に逃げた卑怯者になるのだ。

「鐵坊、大丈夫なの。怖いのなら止めておかうか。ねエ、ふっこ、怖いからやめておかうよ」
 と芳キが弱音を吐き始めた。しかもそれを鐵の所爲にしてゐる。
「へっちゃらだよ。なア、ふっこ。熊が出たら、二人分を食べてゐる間に逃げるからな。おれの背中から落っこちないやう、頑張るんだぞ」 

「素敵よ、鐵坊。笠掛物語の若者みたい。でも、ふっこぢゃ乙女にしても小さ過ぎると思ふけれど」
 と芳キが笑ふ。やうやく左手に石段が見えた。上の方は木々に隱れてゐるが、これが御堂の上り口だらう。 

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2010年08月18日

聖田 六

「父親は町でも一番立派な質屋さんに着物を持って行った。ところがその着物は、實は高價な絹織物で、藩内でも町人が着るのは禁じられてゐた。そこで番頭さんは、乞食のやうな形の父親を見て思った。この男は禁令も知らず、のこのこ高價な着物を質入に來たのか。きっとどこかで盜んで來たものに相違ないと」

「人を泥棒扱ひするなんてひどい」
「當時は飢饉で、町には飢ゑ死にする者も珍しくない。その飢ゑ死にする者は最後の褌まで賣り拂ふて、素っ裸で鴉や鼠、狸や野良犬の餌食になってゐたぐらゐだ。喰ふや喰はずの乞食同然の男が、高價な着物を持ってゐること自體、あり得ない話なんだ」

「それでどうしたの」
「番頭が何かと時間を潰してゐる間に、裏口から手代が奉行所に屆け出で、父親は捕まってしまふ。もちろん身に覺えのない罪だから、頑として本當のことを言ったが、なかなか通してくれない。だが貧乏はしたくないもんだ。なにしろ物を食べてゐないから躯が持たない。何度が叩かれ、水を浴びせられたところで命絶えてしまった」

 しーん。
「父親の躯は藩によって手厚く葬られた。たとひ泥棒の疑ひをかけられたとはいへ、その死を以って潔白の證しとしたわけだ。それから半年ほどして、夏も過ぎた頃、御堂橋を過ぎる旅人の間に妙な噂が廣まった。夕暮れになると、御堂の方から、カラッカラッと樂しさうなお囃子が聽こえて來る、といふのだ」

 しーん。
「中には、おけ、さア、豐宇氣の、神の御惠み、おけ、さア、あさずをせ、をせ、と聲まで聽こえると云ふ者もゐる。噂を聞きつけた奉行所の役人が御堂に上ってみると、何處から入り込んだものか、錠のかかった堂宇の中に三つの骸骨、大きいの中の小さいのが竝んでをったとさ」

 しーん。
「おそらくはこやつらが夕方になると踊ってゐるんだらうと、奉行所は三柱を手厚く葬った。それからはカラッカラッといふお囃子のやうな音も聽こえなくなったんだとさ。今日のお話はこれでおしまひ」

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2010年08月17日

聖田 五

「昔、誰もゐない御堂に父子の二人が住んでゐたとさ。御堂の中は鎖してあって入れないが、軒の端で雨露を凌ぎ、人が近づくと山へ隱れる。そんな生活をしてゐた。父親は柴を刈って町へ賣ったり、もちろん魚を釣ったり、野鼠から蟲まで、口に入れるものは何でも食べて口を糊した」

「クチヲノリしたって、なにをしたの」
「糊っていふのはお米を煮たものだろ。貼るだけぢゃなく、食べることも出來るんだよ。食べるときは御粥と言ふのを、ここは氣取って糊すると言っただけ」
「氣取ってゐるより、もっと美味いのがほしい」
「そんなものがあるか。それどころか、そのうちに大水が出て、凶作になっちまった」

「キョウサクって、なに」
「お米が穫れないんだよ。昔は税金もお米で納める。だから凶作になると、百姓ばかりぢゃなく、笠掛の町も困るし、侍も困るんだ。ましてもともと貧乏だった父と子はもっと困る。柴は賣れなくなるし、やっと釣り上げた魚も、小っちゃな子の口へ入れて御終ひ。父親はどんどん弱って、つひには歩くのがやっとになった。さて、お前たちが父親の立場だったら、どうする」

「この子の母親はもう亡くなってゐるのね」
「よく氣附いた。お母さんは長病の末、三年前に亡くなったんだが、その療養と看病の爲にこんな貧乏に成り下がってしまったんだ。家財の多くは賣り拂ってしまひ、殘ってゐるのは母親が大切にしてゐた着物一領だけ」

「それを賣ったら幾らぐらゐになるのかしら」
「飢饉だから、食べ物以外の物の価値は下がっている筈だが、衣類は非常に高價なものだから、一両にはなるだらう。そこで父親は、弱った躯に鞭打って町へ出かけた。我が子を救ふ爲なら、きっと母親も許してくれるだらうと」

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