2010年05月28日

蛇の目 六

 大貫瑶代はすでに三年以上も上田家に住み込んでゐる。まだ二十代の半ばと若いが、家政の一切を取り仕切ってゐるらしく、主人の留守中に女主を守りきれなかった、といふ自責の念に驅られてゐるやうに見える。上田久代はもう間もなく、心臓の外科手術を受けることになってゐた。

 瑶代に據ると、朝の七時、いつものやうに起牀した久代に變ったところは無かった。八時過ぎ、朝食を終へたのち、當年三十三歳になる夫の藤三郎は湯殿の笠掛商工會へ、長女芳江、これは上田夫妻の實子ではなく、縁組で迎へた養女といふことであるが、當年七歳は由水小學校へ、長男、同じく養子の鐵、當年四歳は、大貫瑶代の長女美代子、當年五歳と共に落合の幼稚園へと、それぞれ出掛けた。

 廣い屋敷に殘ったのは久代と瑶代の二人。その日は前日からの豪雨で、久代は九時ごろ牀に戻り、一時間ほど休んでゐたといふ。瑶代は家事のため離れへ引き上げてゐたが、十時頃母屋に戻ってみると、久代は起き出してピヤノに向かってゐた。二人で縁側に出て世間話などしてゐる内、玄關に現れたのが島田雪子。大貫に據れば、豫約の無い、突然の訪問であった。

 折からの惡天候、雪子は裾から水の滴るやうなづぶ濡れで、瑶代が浴用タヲルを出してやるなど、身繕ひに大童だったやうだ。このとき瑶代は雪子と初體面、久代と雪子の關係も知らなかったやうだが、當の久代が雪子を自室へ招き、親しげに對座したのを確認してゐる。その後、二人は一時間近くを過ごしてゐるが、隣の厨にゐた瑶代は會話の内容を聞いてゐない。

 途中、茶を替へに行った際も特に變はった樣子はなく、二人とも、むしろ樂しさうに見えた。十一時前、久代は玄關まで見送りに出、また近い内に逢ふ約束を交はした。

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2010年05月27日

蛇の目 五

 翌日は田ノ岡が公休、やや忸怩たる坂前には都合が好かった。敏子とは別れ際に接吻を交はした。玄關の三和土の上で自づと然うなった。電燈が今少し明るければ、或は然うならなかったかも知れない。

 七時に廳舍を出ると滿天に星が出てゐた。住まひの虎風荘まで歩いて五分。しかし靄のかかった頭を晴らさうと出水川の縁まで歩いて見た。川は近年の擴充工事で整備されてゐるが、元は文字通り湧水の出る泉だったらしい。獨身生活も終はるかと思ふと何やら物寂しい感じさへする。

 眞っ暗な鳥目山を見上げながらコンクリートの護岸傳ひに下ると、上ツ谷と呼ばれる住宅街へ出る。元は寂しい町外れだったのが、戰後になって住宅が立ち竝んだのだといふ。仕舞ふた屋風の小さな二階建が多く、下り落ちる水音が濕った夜氣を震はせてゐた。その一角に島田醫院と小さな木の看板が見える、その植ゑ込みの奧が島田雪子の住居だ。

 敏子と雪子は羽多岐高女の同期だったらしい。クラスは違ふが、學校の行き歸りでよく同じ列車に乗り合はせたといふ。とくに高ぶってゐる譯でもないが、類も友も呼ばず、教師さへ一目置く存在だったやうだ。敏子は一學年下の上田久代のこともよく憶えてゐた。

 しかし上田久代は亡くなった。死亡診斷に當った醫師の所見に據れば心不全。もともと心臓の瓣膜に障碍があり、急激な情動や疲勞等に因る發作の危險性は常にあったやうだ。田ノ岡の報告により擔當の檢事も病死として處理した。しかし死者を見送る、生きてゐる人間の方は、それでは濟まなかった。

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2010年05月26日

蛇の目 四

 十分ほどして、敏子が飯櫃やら籠やらを抱へて來た。
「ごめんなさい」
「わざわざ借りて來たのかい」
「何だか隱れて逢ってゐるやうに思はれるのも厭だから、ちょっと顏を出したら」
 何だ、これではもう引っ込みがつかないぢゃないか。

 敏子は隣室へ入り、襖を閉じた。
「ちゃうど兄がゐて、飯ならちゃんと作れって。薮蛇だったかしら」
 思ひ附きみたいな行動をするから、藪も八岐大蛇だ。しかし、
「田ノ岡さんも、よく一人で住まはせるね」
「かう見えても、しっかり者に見えるらしいの。女だと思はれてないフシもあるやうなの」
 着替への氣配がし、やがて出て來たのを見ると、割烹着にモンペイ姿。どんな姿になるのか心配だっただけに、ほっと一安心。

 そのまま厨房へ立って支度を始めた。
「風邪は、もう大丈夫なの」と尋くと、
「風邪、あぁ忘れてたは。だいたい風邪を病氣と思ふのがいけないんですって」
「お兄さんが」さう云ふのかと尋くと、
「兄ぢゃないはよ。島田先生。だいたい人間の體は隙間だらけ、黴菌が居るのは當り前なんですって」
「なるほど、そりゃさうだらうけど」

 實は坂前も島田の家に行ったことがあった。今月の初め、笠掛市が集中豪雨に見舞はれた日のことだ。その日、上田久代といふ二十六歳の女が心不全を起こして亡くなった。管轄の檢事から死亡時の状況を調べるやう指揮があり、これを受命したのが敏子の兄、田ノ岡であった。

「黴菌ていふのは、自分ぢゃ榮養を作らないだけで、生き物には違ひないのよね。黴菌、黴菌、やっほー、やっほー」
 當然、關係者から事情を聽く。死者と最後に接觸したのが島田醫師の娘、島田雪子だった。

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