2010年04月21日

檜扇 九

 夜七時、渡邊と子供たちが出た。タカの腰痛を氣遣ふ喜美子が殘り、久代の元の四疊半に牀を敷いてくれた。山間の五月は肌寒い。手足から血の氣が引き、胸が早鐘のやうに打った。が、こんなときに臥せると、却って息苦しくなる。

 四畳半は父寛文が書齋のやうに使ってゐたもので、その死後に久代が移って來た。久代のゐた六疊間には今タカが寢てゐる。

 文机の脇にある蓄音機は古めかしいが、聽きなれた箱からは今にも音が鳴り出しさうだ。レコオドはと搜すと、これもまた押入の中にそのまま在った。ワグナアやらオペラやら、音を鳴らして見れば若い寛文の吐息がする。しかし結婚して聖田へ來てからは衣食にも事缺き、レコードやら書籍やらはすべて獨身時代の遺産だった。

 小筐の中に父の書いた物があった。紙片などに書き散らしたものをタカが蒐めて置いたものらしい。中にこんなものがある。何かの挨拶状の裏に、「赤貝、蛤、淺利、タニシ、鮒、海邊の親、來りて久し、けふは精進備へ、贅澤三昧なり」
 海邊の親といふのは兼崎の根津家、おそらくは法事の精進備へに海産物など貰ったのが餘程嬉しかったと見える。

 子供の日記帳のやうなものも出て來た。今の芳江と同じ二年生の夏休みから始まり、屡々中斷してゐる。まるで覺えはないが、筆跡は久代のものらしい。ぺらぺら捲って行くと、こんな箇所にでくはす。
「ささへ、開き、たへしのべ。たとひ何を言はれようと、ささへ、開き、たへしのばなければ滿ちることはない。たとひ希望を成し遂げ、すべてを學び、確固たる信念を持たうと、ささへ、開き、たへしのぶことがなければ、人は生きることがない」

 次は日附が無いが、手は女學生時代のものだ。
「人を立て、身を犠牲にし、どんな感謝と賞賛を浴びようと、ささへ、開き、堪へしのばなければ、人は生きることはない。人の痛みを吾が痛みとし、人の苦しみを吾が苦しみとせよ。その人を妬まず、見下さず、自らを誇るな。潔く振る舞へ、卑しからず、怒らず、惡事を數へ擧げるな。すべてをささへ、すべてを開き、すべてに堪へ忍べ。求めずに、自らを滿ちよ。人が苦しみを免れながら幸せになる道はない。愛も希望も苦しみを殖やすためにある。雨に打たれようと堪へ忍べ。自ら苦しみの内に滿ちることによってのみ人は生きることができる」

 久代が十四五のときに書いたものだとすれば、父の亡くなる三四年前のことになる。経緯は分らないが、父から聞き取って書いたもののやうにも見える。いづれにせよ聖田へ來た晩、こんな頁を見つけるのも偶然とは思はれなかった。

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2010年04月20日

檜扇 八

 晝前、渡邊が龜吉と喜美子を連れて戻った。態々「秋には夫婦になります。姉さま、皆樣には、宜しくお願へ申します」と挨拶しに來たやうだ。喜美子は強い地訛りで云ひ、疊の上に這ひ蹲った。

 結ぶの神を呼んだのは例によって藤三郎だが、氣の毒にも美津繪の葬儀などに取り紛れ、すっかりと忘れてゐた。久代はそのことを詫び、「母も四十代ですっかり弱ってしまひました。どうか龜吉さんの名前通り、喜美が代は千代に八千代にお願ひします」

 と挨拶はここまで、タカは、「さぁ、お勝手は久し振りだらう」と久代を驅った。「あっ、さうさう、その包みに信州の梅干が入ってゐますよ。それでお結びと、瑶代さの胡瓜もあるから河童卷。留守番の瑶代さの分までたんと作っておくれ」

 喜美子も手傳ってくれた。「私の母の姉が瑶代さの母で、三年前に太ヶ谷へやって參りました。私は町の生まれでございます」と。しかし瑶代も人が惡い。喜美子が從妹なら一言さうと教へてくれてもよささうなものなのに。と思った途端、喜美子が美津繪の葬儀でも似たやうなことを言ってゐたのを思ひ出した、御免下さい。さういふ丈夫の氣立ての良さなど、やはり瑶代の血筋らしい。

 二人が支度する間、後ろではタカが龜吉と渡邊、子供たちを相手に、
「ここは施主もなし、以前は山歩きの人を泊めたり、苗や筍を商ったり、どこが坊主なんだと怒られたこともあったがね。今はお蔭様で漸くお寺らしくなって來たんだ。これで久代に孫が出來、龜吉にも嫁が來て呉れた。そろそろ寺號でも立たうと言ってくれる人もあるけれど、この上の慾は、あの世からのお呼びだから。もう思ひ殘すことはない」と腰痛も忘れ、言ひたい放題だ。

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2010年04月19日

檜扇 七

 子供たちと奧ツ城を廻ってから庫裏を覗くと、タカが一人で待ってゐた。もうひどい腰痛に熱まであると言ふ。
「龜吉さんは」と尋くと、
「渡邊サと太ヶ谷へ行ったんぢゃないかい」
「如何して」
「喜美サと逢ふに決まってる」

 喜美サとは龜吉の婚約者の喜美子。瑶代と同じ太ヶ谷の人らしい。渡邊は折り返し、龜吉を乘せて太ヶ谷へ行った。しかも「瑶代さも一緒だ」と云ふ。「今日は藪入り」だとタカは茶化すが、なるほど藤三郎にすれば、假令半日でも瑶代を里へ歸さうといふのだ。もしさうなら美代子も一緒にしてやればよかった。

 久代は我が身に感ける自分の身勝手さに呆れた。どこやら遠くでケーケーと泣く。

 春の野に あさるきぎすの 妻戀ひに おのがありかを 人に知れつつ

 と誰か歌ふ。今ごろ家持も何處かで苦沙味してゐるだらう。

 タカが噫と笑った。
「私の名はタカ。陰に努める、月の夕にチカラと書いて夕力。これを片假名に讀んでタカと言ふんだ。宜しく頼んだよ」
 芳江の肩をポン。

 芳江は少し考へ、「私の名は芳江、葦の枝を轉じ与之江と申します」と捻り、「ひとはよし おもひやむとも たまかづら かげにみえつつ わすらえぬかも」
 さうして頭をペコリ、「ゐの子のかしら、よろしくお願ひします」と結んだ。

 歌は久代の廚子にあった萬葉の選歌集のものだ。後ろの猪の子二人がポカンと口を開けてゐる。タカが大咲ひした。


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