2010年03月22日

ちふしの木 十三(竟)

 表に車があり、お勝手の前に渡邊、瑶代、美代子と、三人竝んで御出迎へ。
「やぁ久し振りだね」
 と藤三郎、急いで奧へ。

 一段落して廣い板敷の廚、五人が珍しい食卓を圍った。藤三郎の笹壽司が分けられ、それに若胡瓜の淺漬、莢豌豆の御御御附、何だか分らないものの天ぷらまである。
「胡瓜を供へると河童が歡ぶんだよ」
 と藤三郎が舌鼓。

 瑶代、「この莢は渡邊さんから」
 戴いたものだと云ふ。やや大きめで齒應へがある。郷里の姉から送られたものらしい。
 誰も手を附けない天ぷらを藤三郎が攝り、
「ん、こりゃ旨い。蒲公英かな」
 すると美代子が得意滿面、瑶代と顔を見合はせた。妙な形は根っ子の附いたのを丸ごと揚げたものらしい。苦いと思ひきや、甘みがあって美味しい。

「胃腸病、神經衰弱、眠れない時にもいいさうだ」
 藤三郎が能書きを垂れるや、美代子、
「お乳も出るんですって」
 廚に春風が吹き込んで來た。

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2010年03月21日

ちふしの木 十二

 土手の下に黄色い蒲公英が咲いてゐた。藤三郎は膝を折って、
「マヨサのことだがなぁ」
 マヨサとは瑶代のことだ。久代がマヨさんと呼ぶのを眞似、藤三郎は約めてマヨサと呼んでゐた。「マヨサはやっぱり、ずっと獨りでゐるつもりなんだらうか」
 
 まだ二十六の瑶代が獨りなのは勿體ない。もう亭主を亡くして二年半が經つ。幼い美代子がゐようが貰ひ手は山ほどあらう。久代のキ合ばかりで縛り附ける譯にもゆくまい。
「渡邊さんの方は、どうなんでせう」
 藤三郎は兼ねて二人を結ばうとしてゐた。しかしその後の進展はとんと聞かない。

「マヨサもマヨサだが、渡邊も渡邊だな」
 結ぶの神は當り前を云ひ、蒲公英を撫でた。たしかにこの花はマヨサに似てゐる。立ち上がって、「離れの名義を、マヨサに移したらどうかと思ふが、かまはんか」と尋く。
 離れとは、いま現に瑶代母娘が住んでゐる茅葺の家だらう。

 なるほど自分の家なら再婚しても留まってくれるかも知れない。瑶代が乘るとも思へないが、これまでの勞苦に些かなりとも報はうといふ氣持ちは分る。
「ぜひさうして下さい。私からもお願ひします」

 堤の上へ出た。話はまだある。
「三歳の子がゐるんだよ」
「もうぢき五つぢゃありませんか」
「いや、ミヨチャぢゃなくて」
「私なら二十七ですよ」
「さてそのご亭主は」
「おとつひみまかりさふらふの」

 と大戲ける場合ではない。三歳の子とは渡邊の知り合ひの子で、母親と一緒、榮養不良で入院してゐる。子供の方は元氣で、直ぐにも退院出來さうだが、母親の方が長引くといふ。當座は渡邊が預かるつもりでゐるが、それが何時まで續くか分らない、といふのが藤三郎の心配だ。何か厭なものが胸を過ぎった。

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2010年03月20日

ちふしの木 十一

 御晝近くになって漸く診察やら檢査やらから解放され、長椅子の渡邊が藤三郎に替はってゐた。
「今日は半ドン、ヨカニセドンは歸った」
 かう云ふ駄洒落は飮んでゐる證憑だ。立ち上がって、脇の風呂敷を持ち上げて見せる。
「何ですか」
「笹壽司だよ」とご機嫌。

 笹壽司は夫の郷里、山國の料理らしく、野菜や漬物を笹の葉と酢飯に挾んだ獨特のものだ。正門を出ると、そのまま堤の坂を下りた。
「田舎の友達が久し振りに出て來てな」
 その田舎には、藤三郎の義母や兄がゐる。
「さうでしたか。皆樣、御元氣でしたか」
「まぁな。これもお袋が作ったさうだ」
 この義母と次兄は結婚式にも足を運んでくれた。實家が新教徒だといふ義母は、藤三郎に大きな薫陶を與へた。

 堤の上は瀬音に春風がさやぐ。
「庭に大きな次郎柿があって。何でも御門に御獻上の枝から接木したんだとか、親父のえらい自慢だった。尤も次郎柿だから藤三郎は喰っちゃいかんだの妙な理屈をつけて、實の方は兄貴たちがみんな喰っちまひやがる」
 殘ったのは高い枝先の二つ三っつ。

 誰が何時喰ふんだらうと眺めてゐたら、兄貴たちが梯子を掛けて呉れた。「あれ喰ってみろ、うまいぞぉ」と。あり難いと梯子を上ったはいいが、兄貴たちに取れないものが藤三郎に届く筈もなし。怖くなって下を見ると梯子が外されてゐた。しまったと思ふが後の祭。

 兄貴たちは縁側に寢そべり、鼻糞なんぞ穿くりながら高みの見物。まさか助けてくれとも頼めないから、そのまま無理に攀じ登り、枝ポキの命からがら、足の震へるもなんのその。えいやっと、三つとも捥ぎ取ったは良いが、下界はお八つの時間になってゐる。

「藤三郎は、いいよなぁ」
「柿の實が三つもあるずら」
「あぁ」
 兄貴たちは三つの銅鑼焼を二人に分け、藤三郎は御獻上の三つを獨り占め。暗くなるまで降りられず、義母からは怒られるの、手足は傷だらけの。しかし、「そんなこと言ひ告けたら、兄貴たちがかはいさうだ」
 義母は血の繋がらぬ藤三郎にも細やかな愛情を注いだらしい。

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