2010年02月25日

あんでら 十一(竟)

 孟秋の光が山を染めてゐる。二人の足はおのづから奧津城へと向かった。父寛文の墓は澤の邊の繁み、春は花が散り、夏は木陰の、亡せて四年を過ぎる父の隱れ處。

 藤三郎は合掌拜禮し、 
「この石は」
 と尋いた。
「父がどこかから持って來て、自分で墓石に決めておいたさうです」
「何だか上を向いて、物を言ってゐるみたいだなア」
 と見上げる空に櫻の木。
「母によると、木ノ花ノ咲クヤ姫と石長姫なんださうです」

「なるほど。お父さんの石が妻や娘の彌榮を祈って」
「父のことはお聞きになって」
「あぁ、聞かされたよ。當てられっ放しだ」
「悔しい。私には何も教へてくれないのだは」

「知らん方がいい。あのタカさんがなア」
「この間もね、土用干しの中に父の股引が出て來たんです。それを懷しさうに頬っぺたに當てたりして。あんな尼さんがあるものかしら」

 藤三郎は笑ひながら、「來年は俺も三十だ。三年は永かったなア」
 と立ち上がった。「タカさんから頼まれたんだよ。あの娘は貌に似ず頑固だから、もう少し大人になるのを待ってくれと」
「まぁ」と久代も紅くなった。それを冷やかすやうに風が過ぎり、庫裏の方で笑ひ聲が起きた。

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2010年02月24日

あんでら 十

 話は夫妻と藤三郎の出遭ひに及び、廣見の盡力により藤三郎が逸早く歸還出來たことなど、樂しく和やかな内に過ぎた。

「ところで、今日はかめっきちさんのことなのですが」
 と廣見が切り出した。龜吉とは、寺の見習ひに入った、あの少年の名である。

「はいはい、あの子には本當に助かりました。こんな寂寺でも私の代で終りかと思ふと、正直、氣にも病んで參りましたが、この度はお蔭様で戒めも授かり、ほっと荷を降ろしたやうな按配でございますの」
 あれから三年、十七になった龜吉は存外にタカの氣に入るところとなり、夫寛文の修行した山へ修行に出てゐる。

「さうなれば話も申し上げ易いのですが、ゆくゆくは御血脈をお傳へになられるといふのは如何でせう」
「はい、もちろんそのつもりでをりますとも。本人にも氣持ちを確かめてありますし。ねぇ、久代、お前にも依存はないだらう」
 想像通りとは言へ、初めて出るタカの言葉に、
「はいはい、氣難しい薫女樣の仰有いますこと。何の異存がございませうか」
 努めて平靜を裝った。

「ところで、ねぇ、上田さん」
 タカは續けた。「さうなると困るのは久代の始末ですがね。どなたか厄介者を片附けて下さる方はいらっしゃいませんか」と皮肉粧して。
 應ずる廣見、「おっと、さうさう、實はもう一つ頼まれごとをしてゐたのですが、どうやらその必要もなささうで。ちょっと厠を拜借」
 と、開子を誘ふやうにし、席を立った。

 二人、ぼぉっと殘された。沈默のあと、
「今日はお靜かですね」
 久代から口を切った。藤三郎は、「痺れたんだよ」と濡れ縁まで這ふ。久代は玄關から庭へ囘り、靴を揃へた。

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あんでら 九

 廣見の父、景見は滿洲に私學の創建を夢見、建國早々から奉天を根城に準備してゐたが、高齡も祟り、その頃は療養を本業としてゐた。ところが海軍技術科中尉になった廣見が旅順に着任、開子も夫を追ふやうにして渡滿した。すでに沖繩戰が峠を超え、米軍の本土進攻が目近に想像される時期であった。

 開子によれば、
「東京を發った日も、ちゃうど空襲がありましてね。汽車から見ても、伊豆、靜岡と、行く先々が燃えてゐるんです。名古屋ではお城から火が噴いてゐる。もうどこもが燒き盡くされてゐたんです」

 廣見、「三月に大きな空襲がありまして、もう笠掛も危なくなってゐましたから、これが滿洲まで追ひ駈けて來るとは思ひませんでした」
 と開子を指す。

「そりゃ、さうでせう。滿洲のお父樣も歸られませんし、どうせ死ぬなら夫婦一緒と思ひましたから、後先も考へずに飛び出したんです。ともかくも下關までは無事に着きましたが、それから先が大變。敵の潛水艦がゐて、船が出られないといふんです。でも待ってゐても仕方ない、博多まで行き、そこから釜山經由で渡ることにしました。

 ところが、もうぐったり、三等船室は足の踏み場もないほど混み合ってゐるんです。波がぶつかるたび、みんな、やれ機雷だの魚雷だのと大騒ぎしてゐるのに、脇にゐる子だけ妙に大人しいんです。十五六の娘でしたが、かはいさうに、船醉ひでもしたのかしらんと思って」

 その子を高級船員の部屋へ入れて上げた。實は博多を出るとき、廣見の知人に乘船を手配して貰ひ、船室も借りてゐたのだが、魚雷騷ぎですっかり忘れてゐたのだ。

 部屋は狭いながら寢臺もあったが、
「隣の部屋から夜通し電信の音が聴こえて來るんです。トウキャウ・カイメツ、クワウキョ・エンジャウ、ニッポン・カウフクって、そんな風に聽こえるんですもの。それでがっかりしてゐたら、その子が云ふんです。大丈夫、この船は大きいから沈みなせん、小母さんも大船に乘ったつもりでお眠り下さい、って」 

 さうして無事釜山に着き、その子とは奉天で別れた。そのときに聞いた女の子の疎開先が、大建屯といふ邦人の農場であった。

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